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2016年8月2日火曜日

トリオ、なぜ 9R-4J/42Jは誕生したのか?

戦後五年を経過して、1950年(昭和25年)に電波法が施行され、翌年からアマチュア無線技士の国家試験が開始、更に翌年、アマチュア無線局の免許申請も受付が始まった。

それを待っていたかのように、1952年、春日無線(後のケンウッド)は五球スーパーに BFOと ANLの回路を付加した受信機 6R-4Sを発売した。(BFOと ANLが無ければタダのラジオだが) 外観も含め、一応、通信型受信機と呼べる物だった。


見た目は、アメリカの通信機メーカー Hallicrafters社の S-38と言う通信型受信機にソックリ、今風に言えば、パクリその物だった。
戦後間もない頃で、アメリカの事情には疎く、並四や高一ラジオに見飽きていた人々には、斬新ささえ感じたようだ。

この 6R-4Sから二年が経った1954年に、トリオの通信型受信機の礎となる 9R-4が発売になった。と、同時にアマチュア無線用に特化した 9R-42もラインナップされた。
高周波一段中間周波二段、いわゆる「高一中二」と呼ばれ、この当時の通信型受信機の完成型と言っても過言では無い。

それから四年が経った1958年、
型番の末尾に "J" を付け足した 9R-4Jと 9R-42Jが登場した。
フロントパネルを見ると直ぐに気付くが、CW/SSB受信用にBFOのピッチコントロールのツマミが新たに追加された。それ以外に電源部も見直された。
では何故 "J"なのか、いま以て分からないでいたが、ネット検索での結果、アマチュア無線雑誌 CQ ham radio(1959年4月号)で、設計に携わった横山耕三(JA1SR)が執筆したトリオ9R-4J紹介の記事(9R4と9R4Jはどうちがうのか)に、”J”はJuniorに通じるとあり、これが型番の末尾の”J”の由縁と理解した。

外観を見比べるとよく似ているが、内部を覗いて誰もが納得した。

9R-4 と9R-42の真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6SK7(IF) - 6SK7(IF) - 6SQ7(AF) - 6V6(PA)
6BE6(OSC), 6SN7(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

アンダーラインはGT管、その他はMT管

9R-4Jと 9R-42Jの真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6BD6(IF) - 6BD6(IF) - 6AV6(AF) - 6AR5(PA)
6BE6(OSC), 6AV6(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

何が変わったのか?
9R-4 と9R-42に採用された真空管は、MT管と GT管の混在だった。
それが、9R-4Jと 9R-42Jでは一目瞭然、整流管の 5Y3を除き、残り全てが MT管に入れ替わっていた。

では、何故に、MT管と GT管の混在だったのか?
往時、その事情に通じた人から聞いた話だが、MT管の調達コストが高かった為だと言う。

その後、五球スーパーが一般家庭に普及しはじめ、MT管の価格も大量生産で下がり始めた。

それと時期を同じくして、春日無線は、将来の経営の柱となる、FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ市場へ参入した。

当然、MT管の調達数は、アマチュア無線機の必要数よりゼロが一桁多く、必然的に調達コストは大幅に安くなった。
そうなれば、GT管を使うコストメリットは全く無しとの判断に至り、5Y3以外は、MT管へ総取っ替えになった。真空管の良いところは、同等管との差し替えであれば、回路定数の変更も殆ど必要無く、置き換えられることだ。

言ってみれば、このモデルチェンジ、
ただただ、メーカーのご都合によるもので、ユーザーは惑わされただけかもしれない?

蛇足ながら、
それから二年後、更に 9R-59へモデルチェンジしたが、6BD6を 6BA6に、6AR5を 6AQ5に差し替えた以外、真空管のラインアップは、そのまま踏襲された。
最後まで居残った GT管の 5Y3は、9R-59Dで、やっと半導体に置き換えられ、お役御免になった。

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