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2006年7月30日日曜日

未使用の1200メガ用10素子ループアンテナが

物置の整理の途中でアンテナが出てきました、アマチュア無線用1200メガ用の10素子ループアンテナです。

短波帯のアンテナ、例えば七メガの八木アンテナを作るとなると、本格的には半波長の20メートルの長さになり、なかなか自作も大変です。その点で言えば超短波帯は波長が短い分だけ工作も比較的簡単の様に思われます。

1200メガ用の10素子ループアンテナ
1200メガであれば波長は25cmですから半波長で12.5cmと何だか扱い易いサイズに思えます。ただし、アンテナとなれば製作にはそれなりのノウハウがあり、言うほどに易しくはないと思われますが・・・


画像にあるループアンテナは十年くらい前にハムフェアで購入しました。
神奈川県川崎市にあるマキ電機の物です。
マキはUHF用のアンテナに力を入れていて、色々な形状のアンテナを製造販売しています。私もこの当時、老朽化?したケンウッド製の1200メガFMトランシーバーTR-50にダイアモンドのコリニア アンテナ U-200で時々オンエアーしていました。


1200メガに出始めたのは1985年頃で、当時は東京でも1200メガは相手がなかなか見つからず専らレピーターに頼るしかない時代でした。故に、シンプレックスでの交信などローカルに親しい局が存在しない限りご縁がありませんでした。

コネクタはN型
そこでこのアンテナを使えば少しは遠くへ電波を飛ばせると思い、ハムフェア特価?3000円位で買ってきました。しかし、アンテナを架設する場所とかローテーターなどの設置とか、新たな検討事項も増えて、そのうちそのうちと先送りして結局使わずじまいで今日に至っています。

最近の都内のアクティブ状況は把握していませんが、アマチュア無線機器各社のカタログを見ても1200メガにはあまり力を入れていない様子に、その昔とそれほど実体は変わっていない様な気がしています。しかし、これは私のお宝(ガラクタ)なので、埃を払い記念撮影?だけしておきました。復活の時が来るのか?今のところ不明です。

全長約60cm、重量約400g、アルミ材
なお、同軸ケーブルはダイアモンドのコリニア アンテナ U-200で使用していたもの。
UHF帯に於いて低損失の10D-SFAタイプ、心線は二重シールドになっていて、とても固く、画像では直径約50cmで巻いて束ねてあり、これ以上 細めに巻くことはかなり困難です。
それ故、室内への引き込みや室内の引き回しには最低半径25cm位のカーブが必要で、特に無線機の背面への引き回しにスペースを広めに確保する必要があります。長さは 50cm x 3.14 x 7回 = 十メートル 位です。

2006年7月19日水曜日

元箱の表示とは全く違う無線通信機が入っていて、しかも、ケース無しの製作途中の姿でした

段ボール箱は下の部分が粘着テープで補強してあり、上面は平らでなく少し盛り上がっている様に見えました。
「SM-5」の段ボール箱
側面に印刷された「SM-5 PRE-SELECTOR CONVERTER」が入っている様には思えない雰囲気でした。少々戸惑いつつ、綴じ糸を解き、内装段ボールの上を開いてみて予感が的中しました。

亜鉛メッキの金属シャーシーに組み立てられた裸のセットが見えました。内装段ボールを一気に引き出すと、正に製作中とでも言った方がいい様な工作物です。大きさがほぼ「SM-5」のサイズに近く、この段ボール箱に上手い具合に収まっていたようです。

これでは、ご覧頂いた方には中途半端な終わり方になってしまう恐れもあり、更にデジカメで撮ったスナップショットを加えてプロフィールが良く分かるようにしてみました。

「SM-5」ではない半完成品のセット
シンプルな筐体設計で、小型軽量の扱い易さ、ご覧の様に組立が終わり、これからCRやリード線の配線を始めようとしていた物の様に見受けられます。

菅野の電源トランス、エルナーの電解コンデンサ、松下電器の三連バリコン、アルプスのロータリースイッチ、ミツミの真空管ソケットなどなど、真空管時代を共にした方々ならお分かり頂けるパーツで仕上がっています。

真空管は四本で、うち一本は定電圧放電管、残りの三本は高周波用の球の様にシャーシーに刻印された品番から読みとれます。バリコンに寄り添うようにあるのが、タイトボビンにエナメル線を巻いたコイル。

こんなパーツ構成のこの工作物は何なのか?ここでは敢えてお知らせしませんが、皆さんそれぞれのご想像にお任せします。



2006年7月16日日曜日

淡い期待も虚しく、通信型受信機 "JR-60" の箱には、小分けした電子パーツがギッシリと詰まって

三十五年ぶりに開封したトリオのアマチュア無線用の通信型受信機「JR-60」の段ボール箱。

「JR-60」の段ボール箱
かなりの重量に、当時の大きさから察するにそのモノズバリが入っていておかしくない手応えを感じながら、綴じ糸を外しユックリと開いてみました。しかし、そこに見えたのは何と「JR-60」ではなくて、色々な電子パーツなどを小分けしてギッシリと詰まっていました。

本体がありません。
何故にこんな状態になっているのか?この段ボール箱に詰め込んだ時の数十年前の情景は思い出せません。どこか他のところへしまったのか?あれば、かなり大きめサイズ故に置いておく場所も限定されますが、心当たりはありません。取りあえず探すことにしましたが・・・

この通信型受信機「JR-60」は、大ヒットした前作「9R-59」の後継機として商品化され、アマチュア無線をやっている人なら誰でも知っている文字列「59」を越えるモノとして「60」が付加されたのだと推測しています。

TRIO Communication Reciever「JR-60」
私物ではありません
当時、トリオのアマチュア無線用のラインナップが充実してきた時でもあり、クリスタルコンバーターの六メータバンド用「CC-6」や二メーターバンド用「CC-2」なども揃い、「JR-60」はこの「CC-6」も内蔵した通信型受信機となりました。

時期的には、AMの時代からSSBの時代への転換期にあり、「6R-4S」→「9R-4」→「9R-42」→「9R-59」と続いたトリオのAM時代の通信型受信機の最後のモデルになりました。
ただ、型番のプリフィックスを「JR」と改めたことで、トリオは第二世代の通信型受信機の始まりを意図していたのかも知れません。

この後は、JR-300Sを初めとする本格的なSSB対応の通信型受信機の新シリーズとなり、そんな意味に於いては、トリオのAM時代の集大成がこの「JR-60」に詰まっていたとも言えます。

期待されていた「JR-60」が見当たりません。
所帯を持って実家を出るにあたり、収納スペースの制約で手放したアマチュア無線機器には、トリオのHFトランシーバーTS-510SやSSB受信機のJR-500S、モノバンドSSB送信機TX-15S、その他、実弟の方へ譲った何台かがありました。恐らく、そのなかに含まれていたのか、今となっては記憶が定かではありません。

本命の「JR-60」が無いので、ひとまずは、この辺でうち切りとしますが、私の部屋の洋ダンスの脇に以下の様なモノがチラリと見えています。いずれ、機会があればご紹介したいと思っています。
この画像だけで、何だか分かる人は、私と同時期にハムライフを共有した方だと思われます。

2006年7月15日土曜日

通信型受信機 "9R-59" の感度、安定度を飛躍的に向上させたトリオのプリセレ "SM-5"

元箱に入っていなかった「SM-5」を探しました。電子パーツと違い、かなりの大きさがあり、それほど手数も掛からずに見つかりました。
TRIO PRECON「SM-5」 (私物です)
実を言って、元箱をとっくの昔に処分してしまったモノは、包装紙で包み紐掛けし保管してありました。数にすれば、元箱のない方が多く、まだまだ、当時のアマチュア無線機と思われるモノが何台か梱包されたままになっています。大きさと包装紙の上から手探りしてツマミやスイッチなどの凹凸から、これと思われるモノを取り出しました。

包装を解くと紛れもなく「SM-5」でした。

段ボール箱にはPRE-SELECTOR CONVERTORと印刷されていますが、パネルでは「PRECON」となっています。
多分これは競合品のDELICAのPLUG in CONVERTORが「プラコン」と呼ばれていたからかも知れません。
「PRE-SELECTOR CONVERTOR」の表示

パネルにある、80 40 20 15 10 の数字は、周波数表示でなくて波長表示をしている訳です。
今でも五十メガを六メーターバンドとか七メガを四十メーターバンドなんて会話では使いますが、無線機の操作パネルでは使われなくなっています。
周波数表示でなく「メーターバンド」表示

「SM-5」プリセレクタ/コンバータは、四十メーターバンド以下はプリセレクタとして機能し、二十メーターバンド以上はコンバータとして機能する様になっていました。

これは、コリンズタイプの周波数コンバータで、二十メーターバンド(14Mc)、十五メーターバンド(21Mc)、十メーターバンド(28Mc)のアマチュア無線バンドを短波帯の一定の周波数帯(3.5Mc〜)に置き換える機能があり、短波受信機との併用が必要でした。

DELICA PLUG in CONVERTOR
私物ではありません
余談ですが、DELICA(三田無線研究所)のPLUG in CONVERTOR「プラコン」は、各バンドともプラグイン・ユニットを抜き差したスーパーヘトロダイン式で、その中間周波の出力は1.5Mc近傍の固定周波数でした。それ故、親受信機は家庭用の5球スーパーでも使え便利でした。

ただし、全体的な性能は親受信機次第で決まってしまうので、選択度や安定度もそれなりでした。また、5球スーパーにはビート発振器が無いので(無線)電信が受信できなかったですが、(無線)電話が圧倒的に多かった時代で支障は無かったようです。

私の場合は、この「SM-5」で周波数変換された3.5Mcから始まるアマチュア無線バンドをトリオの通信型受信機「9R-59」のバンド切替スイッチを「3.5MC帯」に切り替えて、「SM-5」からの、いわゆる中間周波にあたる電波を受信していました。

「9R-59」は通信型受信機ですが、高周波一段中間周波二段(いわゆる高一中二)のシングルスーパー受信機で、中間周波は一般家庭にあった5球スーパーラジオと同じ455kcでした。

それ故、アマチュア無線バンドのうち八十メータバンドと四十メーターバンドはそこそこ実用になりますが、二十メーターバンドから高い周波数のバンドでは、感度もさることながらイメージレシオや安定度が悪く、海外からの短波放送を聴くような場合には何とか使えても、アマチュア無線の様な弱い電波を聴くには適していませんでした。

この問題を解決に導いたのが「SM-5」でした。
私の場合は、二十メーターバンド、十五メーターバンドがメインで、周波数変換された「3.5MC帯」で受信するため、感度、イメージレシオ、安定度とも飛躍的に向上しました。

これは第一中間周波が3.5Mc、第二中間周波が455kcのダブル・コンバージョンの受信機に相当しました。そして、何よりも 便利に思ったことはダイアルの周波数目盛間隔が広くなり、目的の信号に同調させる操作がとても楽になりました。

「9R-59」の周波数目盛では、最小読み取り単位が5kcになり、相手局の周波数指定にもある程度付いていける様になり、人並みのことが出来るようになったと我ながら安堵しました。

「SM-5」と「9R-59」の組み合わせにより、微弱な電波も受信できるようになり、特に(無線)電信では、競争相手の局が呼んでいる海外局は自分でも聴えるようになり、ライバルと同じスタートラインに付くことが出来ました。

後は、力次第で交信出来るか否かが決まりました。
つまり、送信電力を上げることと、高能率のアンテナを使うことです。

この当時は、送信機にトリオの「TX-88A」の公称出力10Wでやっていました。
この後、暫くして、ブースターを付加して送信電力を十倍以上に増力し、空中線も高利得の三素子フルサイズの八木アンテナに取り替えました。

他の多くの局より一歩前を行ける無線設備の補強もしていき、交信相手も海外のみの時代が長く続きました。

以下は「SM-5」を探している時に同時に出てきたモノです。

DELICA PRESELECTOR 「PR-3」 (私物です)
DELICA(三田無線研究所)のPRESELECTOR「プリセレ」で、同じDELICAのPLUG in CONVERTOR「プラコン」と同じデザインでした。

性能的には良かったのですが、当時の私の無線設備の構成では使い勝手が良くなく、実戦投入することなくお蔵入りになりました。いずれ、別の機会に紹介してみたいと思います。








コメント(アーカイブ)

 いつも楽しみに拝見しております。
今後どんなお宝が登場するか、楽しみです。
それにしても、素晴らしい。
通電しその復調音を堪能してみたい物です。
Posted by  まぐま at 2006.7.16 00:10:51
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お宝なのか?ガラクタなのか?三者三様の見方があると思います。
当事者である私には当然ながらお宝であるべきですが、家人にとってはガラクタ以外の何者でも無いようです。
手狭なウサギ小屋に住まいしている関係で、コッソリと捨てられてしまう恐れもあり戦々恐々の日々を過ごしています。
何年も掛けて珍しい国から届いたQSLカードも、お他人様から見れば、有名な観光地の絵はがき以下の値打ちしかないのでしょう。
先日、ある段ボール箱を開けたらギッシリと真空管が詰まっていました。ST管、GT管、MT管、メタル管など百本、もっとかも?その場では直ぐに数えられませんでした。
しかし、初めて見る真空管に、家人から「それなに?」って聞かれ、説明をしたものの本当に理解出来たのか?私としては半信半疑でした。まぁ〜前世紀の遺物の様なモノですからね。
Posted by  BlueMac at 2006.7.16 12:55:15
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2006年7月12日水曜日

「SM-5」ではない、別の無線通信機の組み立て途中の現物が出て来て、ビックリしつつ

段ボール箱は下の部分が粘着テープで補強してあり、上面は平らでなく少し盛り上がっている様に見えました。側面に印刷された「SM-5 PRE-SELECTOR CONVERTER」が入っている様には思えない雰囲気でした。少々戸惑いつつ、綴じ糸を解き、内装段ボールの上を開いてみて予感が的中しました。

「SM-5」と表示の段ボール箱
「SM-5」のケースは見えず、亜鉛メッキの金属シャーシーに組み立てられた裸のセットが見えました。

内装段ボールを一気に引き出すと、正に製作中とでも言った方がいい様な工作物です。大きさがほぼ「SM-5」のサイズに近く、この段ボール箱に上手い具合に収まっていたようです。

それが、私には何であるか直ぐに分かりました。しかし、何故にケースが無いのか?記憶を辿ってみましたが、三十数年前にここに収めた時の情景は思い出せません。

「SM-5」ではない半完成品のセット
それはともかく、此処に収まるべきモノが何処へ行ってしまったのか?私自身が処分する訳もなく、どこかにあるはず・・・探してみることにしました。

「SM-5」プリセレクタ/コンバータは、七メガ以下はプリセレクタとして機能し、十四メガ以上はコンバータとして機能する様になっていました。私の場合は主として十四メガと二十一メガにQRVしていたので、そのバンドだけがベストで働くようにチューナップしていました。

これは、コリンズタイプの周波数コンバータで、主として十四メガ、二十一メガ、二十八メガのアマチュア無線バンドを短波帯のある周波数(3.5Mc〜)に置き換える機能があり、短波受信機との併用が必要でした。

当時、短波帯も聴ける全波受信機(All Wave Radioの和訳)は、どれも十メガまでは何とか使えても、それ以上の周波数帯では感度はもちろん。イメージレシオや安定度の点で、海外からの短波放送を聴くような場合には何とか使えても、アマチュア無線の様な弱い電波を聴くには適していませんでした。

それにしても、現物がないままこれ以上の言及は控えて、取りあえず探すことにします。

2006年7月11日火曜日

水晶発振子の呪縛を解いた、トリオの Variable Frequency Oscillator、その名も "VFO-1"

段ボール箱の綴じ糸を解き、蓋の部分を引き上げると直ぐに取扱説明書が現れました。

トリオ(現ケンウッド)のアマチュア無線用の可変周波数発振器とでも言いますか、「VFO-1」のモノです。内装段ボールを一気に引き出すとビニールの透明カバーに被われた正にそのモノでした。

ケースの角の塗装が幾分剥がれていて赤サビも少々見えていますが、全体的には三十五年の経過を忘れさせるほど良い状態の様に見受けられました。
これを買ったのは昭和四十年(1965年)のことで、これのお陰で短波帯での交信数が飛躍的に増加しました。

Variable Frequency Oscillator
リグ(無線設備)は、いずれもトリオのアマチュア無線用のモノで、通信型受信機「9R-59」にプリセレクター/コンバータの「SM-5」を付加し、短波送信機は当然ながら「TX-88A」で、当時では定番のラインナップでした。

この「VFO-1」を買う前は、お決まりの水晶発振子による送信でした。
一番最初に買ったのは3,525kcです。

これは、二逓倍で7,050kcとなり七メガバンドのど真ん中で送信できるわけで、最適?ではないかと単純な発想でした。

開局の頃から暫くは七メガの(無線)電話でローカル局と毎晩毎晩お喋りしながら過ごしていましたが、いつしかそれにも飽きて、国内DX(遠距離通信)をやることにしました。ただ、遠くの局と交信するにはアンテナが貧弱で、それで、アンテナが短くて済む二十一メガを選びました。半波長で七メートルのアンテナですが、当時の都内の住宅密集地域でのアンテナ架設も容易でした。

しかし、たった一個しか持っていない水晶発振子の周波数は3,525kc、これを六逓倍して二十一メガバンドでは21,150kcで送信電波が出ることになります。
でも、その周波数近辺は(無線)電話の局は少なく、どちらかと言えば(無線)電信の局が多く使用していました。それで別の水晶発振子が必要になり3,535kcのモノを秋葉原で買ってきました。これを六逓倍して二十一メガバンドでは21,210kcで送信電波が出ることになります。

その当時は、ちょうど太陽黒点が多くなる時期にあたり、その影響で、電波が異常な反射をして複雑な経路で飛び、東京から北海道や九州と交信出来る条件は整いつつあると、もっぱらの噂でした。

二十一メガでは、七メガと比べものにならないくらい遠くの局と交信出来る様になりました。しかし、バンド幅も広くて七メガの四倍以上あり、一つの水晶発振子では効率が悪く、また、先方の局の送信周波数とこちらの送信周波数があまりにも離れすぎていて、コールしても気づいてもらえない恐れもありました。

これは、多くの局が水晶発振子による固定周波数での送信をしていたため、ドンピシャリ、自分の送信周波数で応答してもらえることが少なかったのです。
普通は、CQ CQと交信相手を捜す送信をして、やおら受信に切替、取りあえず自分の送信した周波数で誰か応答してくれていないか?耳を澄ませます。

殆どの場合、雑音のみで、「それでは・・・」っと、受信機のダイアルを自分の送信周波数より上の方へ回したり、反対に下の方へ回したりして、自分に応答してくれている局がないか、右に左にダイアルを回します。運が良ければ?自分のコールサインを何度も何度も繰り返し呼んでくれている局が受信出来ます。

相手が送信から受信に切り替えたことを確認して、自分は先ほどの周波数で相手に応答して交信状態に入ります。
多くの場合、彼とこちらの周波数が100kcや200kcも離れていることはザラでした。バンドも空いていて、こんな事は常習的に行われ、また、それがごく普通のこととして受け止められていました。

余談ですが、現在はこんなこと不可能ですし、また、0.1kHzほどでもズレて応答すると「貴局の周波数はズレてます・・・」何て言って来る輩が希にいて、ご親切なのか?無粋なのか?おおむね良い気分ではありません。

現実、あまり、お互いの周波数が離れていると、気づいてもらえないことも多々ありました。
そこで、水晶発振子を買い足して、こちらの送信周波数を、その数だけ増やすことにしました。秋葉原の電子パーツ販売店でFT-243型の水晶発振子を六個特注しました。それで、私の周波数プランは以下の様になりました。

基本周波数 → 六逓倍(二十一メガバンドでの周波数)
3505kc → 21,030kc ((無線)電信用)
3510kc → 21,060kc ((無線)電信用)
3515kc → 21,090kc ((無線)電信用)
3525kc → 21,150kc ((無線)電話用)
3535kc → 21,210kc ((無線)電話用)
3545kc → 21,270kc ((無線)電話用)
3555kc → 21,330kc ((無線)電話用)
3565kc → 21,390kc ((無線)電話用)

二週間ほどで納品があり、二十一メガバンドでは、(無線)電信は30kc、(無線)電話は60kc間隔で送信が可能になりました。その結果、交信数はドンドン増えていき、国内の殆どの県の局と交信出来るまでになりました。
そんな、ハムライフが暫く続いたある日、ローカル局が外国の局と交信したと聞き、俄然、そちらの方へ関心が移りました。自分の本来の希望は遠くの局と交信することで、それから、交信相手を外国の局に切り替えることにしました。

マイクを握って外国とやるには語学力が要る訳で、これには自信が無く(無線)電信ならば一定の決まり文句を紙に書き留めておき、あとはアドリブで何とかなるくらいの気持ちでいました。

七メガとは電波の伝播状況が異なる二十一メガバンドの下の方をワッチすると、たくさんのヨーロッパの局が聞こえていて、七メガでは味わえないドキドキした気分なりました。しかし、自分の送信出来る周波数で聞こえている局はほとんど無く、これでは応答してもらえないと落ち込みました。

しかし、こちらからCQ CQと相手を探す様に送信すれば、私の信号をキャッチして応答してくれる局がいるかも知れないと思い、ある日、21,030kcでトライしてみました。

CQ CQ と何度も繰り返し電鍵(キー)を叩き、送信から受信に切り替えて、耳を澄ませると、何と何と繰り返し繰り返し私のコールサインがヘッドフォンを通して聞こえてきてビックリ、それも、少しずつピッチが異なる音色で数局に同時に応答されていることが分かりました。

これには飛びあがりそうなくらいの衝撃・・・震える手で電鍵(キー)を叩き、一番強く入感していた局に応答しました。それはUA9(シベリア)の局で、初めての海外局でした。それに続けて、VS6(香港)、UH8(トルクメン共和国)、UA3(モスクワ)と立て続けに交信できてしまい「海外との交信なんて意外と簡単なんだ〜」っと、その時の印象でした。

その時に使った電鍵は、当時プロも使っていた今は無き電通精機のModel HK-1S。シンプルな縦振れ式で、6mm径の銀の接点で符号の切れ味が良く、ベースは大理石でズッシリとした安定感があり今も健在です。

(無線)電信に傾注したのは、語学力の不足もさることながら、当時、私はプロの無線通信士を志望する学生の為の教科がある学校で学んでいました。
電気通信術いわゆるトンツーですが、その授業も当然ながら毎日あり、その頃は、プロ第一級のトンツーの授業の最中でアマチュア程度のスピードでの交信は楽勝でした。そんなこともプラスになり、以後、今日まで電鍵(キー)を叩く機会の方が多いのです。

これ以後、(無線)電信用の三つの周波数を使い毎日毎晩、CQ CQ DXと、海外局との交信を重ねて行きました。半年くらいで百カ国くらいの海外局と交信が出来てしまい本人もビックリした時期でもありました。反面、ローカル局とは全く交信することもなく疎遠になった時期でもありました。

ダイアル(3.5Mcから50Mcまで目盛りがある)
しかし、海外局と交信できるようになっても、(無線)電信用の周波数は三波しかなく、其処から離れて交信している局は、相手に出来ませんでした。この頃になると、送信周波数を可変出来るVFOを使用した局が海外もちろん国内でも多くなり、先方と同じ周波数で応答しないと相手にしてもらえなくなる様になってきました。

やはり、時流に乗って私もVFOを使わざるを得ない状況になったことを悟りました。それで、今の設備にマッチするモノはトリオの「VFO-1」であることは前々から承知していましたので、またまたの散財ですが、これを私の無線設備にプラスすることに決心しました。

それは太陽黒点が最盛期を迎えつつある時期で、電波の異常伝播などが毎日発生し、普段は通信出来ない地域とも交信出来るチャンスがしばしば訪れ、それまでヨーロッパだけだった交信相手が、北米から南米、そしてアフリカにまで広がりました。そんなチャンスに「VFO-1」は、私の期待に応え、遺憾なくその役目を果たし活躍もしてくれた頼りがいのあるリグとなりました。

2006年7月9日日曜日

ケンウッドから創立60周年記念モデル、HF/50MHzトランシーバー 「TS-2000 Black Version」 が限定発売

ケンウッドは今年で創立60年、起業日の今年12月21日までを創立60周年記念キャンペーン期間と位置づけ、各種ビジネスプロモーションやブランド戦略を大々的に展開していくそうです。その一環として国内向けモデルでは、かってのブランドである「TRIO」ブランドを限定的に復活させ、その第一弾として、アマチュア無線機器のオールモード・マルチバンダー TS-2000S(ブラックバージョン)を限定発売するそうです。

TS-2000S(ブラックバージョン)

創立60周年記念「TRIOモデル」として限定発売するTS-2000S(ブラックバージョン)は、現在発売中のオールモード・マルチバンダー TS-2000S のフロントパネル、メインツマミ、キャリングハンドルなどをブラックカラーで統一。まだトリオ株式会社だった1960年1月から1986年5月までブランド・ロゴとして使用していた「TRIO」のロゴを復活させ、製品フロント部のバッジに採用するそうです。


日本国内での販売台数は、創立60周年を記念して限定60台(全世界合計では570台)、限定シリアルNo.を製品背面に貼付、それぞれのモデルごとに、No.1からの限定シリアル番号が付与されるそうです。また、付属のアクセサリーとして、デジタルレコーディングユニット、音声合成ユニットを装備し、ラジオコントロール・プログラムを同梱するようです。

さらに、60周年記念「TRIOモデル」を購入した全員に、特製コールサインプレートがプレゼントされとか。そのうえ、今年の12月21日に抽選を行い、6名に1200MHz帯ユニットUT-20が組込工賃も含めてプレゼントされるそうです。

なお、予約は2006年7月19日から2006年8月21日まで、価格はオープン価格とのこと。「TRIO」ブランドに思い入れのある往年のアマチュア無線家にはお奨めのモデルかも知れません。

2006年7月7日金曜日

トリオ製のアマチュア無線用50メガAMトランシーバー "TR-1000"、三十五年ぶりの再会

三十五年ぶりに開封したトリオの段ボール箱。
重さの手応えからして正にその物が入っていると思いつつも、綴じ糸を外しユックリと開いてみました。蛍光灯の光に鈍く反射するアルミ地のパネルがチラリと見えて間違いないことが直ぐに分かりました。

50Mc AM Transceiver TR-1000
内装段ボールを引き出すと、トリオ製のアマチュア無線用50メガAMトランシーバーTR-1000が現れました。パネルは腐食の跡もなく当時のままの雰囲気を留めていました。

買ったのは昭和四十二年か四十三年頃で、当時は野外へ持って出られるアマチュア用無線機は画期的なモノでした。それを可能にしたのは、真空管からトランジスタへの移行時期に、いち早くトランジスタを採用したことが要因だったと思います。

今の時代からすれば滑稽な話ですが、無線機を持って歩けること自体が凄い訳です。現世では「ケイタイ」と呼ぶUHFトランシーバーを、トランシーバーと意識することなく、大人も子供も日常生活のツールとして持って歩く時代、正に技術の進化を実感します。

汚れはありますが、往時の面影をキチンと残していて磨けば少しは見てくれも良くなることでしょう。マイクもシッカリ揃っていて、50メガのAMで一ワットですが、単一電池を八個入れれば今でも動作するかも知れません。

マダマダ、この六メーターバンドにはAMをこよなく愛するマニアのグループもいる様ですから、Ancient Modeでは決してないと思っています。

この当時は50メガもガラガラ状態で相手を捜すのも大変でした。しかも、バンド幅は今と同じで四メガもありましたが、殆どの局が50メガから51メガの間で交信していました。

そんな実情からか?このTR-1000の受信可能範囲は50メガから52メガで、バンドの下半分しかカバー出来ていませんでした。今だったらユーザからクレームの付くところですが、当時のアクティビティから考えると合理的とも言えました。
少数のFM局は51メガをコールチャンネルにしていたようです。SSBも希にいたようですが、殆どがAM局で51メガより下で交信していました。

このTR-1000では、水晶発振子が出荷時に50.3メガたった一個しか付いてなくて、CQ CQと呼び出しを行うと、多くの局が同じTR-1000で応答してくるため、都合が良いと思っていたのですが、多くの局がこの周波数でそれぞれ交信をするため、一日中混信混信の有様で、結果的に満足な交信が出来た局は少なかった様です。

それでかどうか忘れましたが、製造元のトリオが、50.55メガの水晶発振子を販売促進の意味も含めて、格安で提供するセールを行った時期がありました。名付けてゴーゴー作戦とか?昔の話ですが・・・

何とかしなくてはと思い、私は秋葉原の某電子パーツ販売店で三和クリスタルの水晶発振子を特注しました。
HC-6Uタイプで、50.1メガ、50.2メガ、50.4メガ、50.5メガ
HC-6Uタイプの水晶発振子

四個発注して二週間後くらいで入手出来ました。
元々付いている50.3メガと合わせて0.1メガ間隔で揃えた結果、どれかの周波数でCQ CQと呼び出しを行うことで、飛躍的に交信数を増やすことが出来ました。

送信周波数を任意に可変出来るVFOがあれば、こんな散財や苦労も無かったのですが、当時としては、こんなやり方が普通で、また、そんなこともホビーとしては面白かったのだと思います。

ただし、本体に収納されている1.5メートルのロッドアンテナでは、都市部に於い交信出来る範囲は凄く狭く、やはり、15メートルくらいの高さに付けたアンテナに同軸ケーブルを繋いで交信することが必須でした。それでも、まだまだハイパワーの局も少なくバンドも空いていて、都市部でも十キロや二十キロの交信も可能でした。

アマチュア無線家は高いところを好む習性?がありますが、それは電波が遠くへ飛びやすいからです。私もしばしば東京郊外の高尾山へこれを担いで登り、頂上付近から附属のロッドアンテナだけで電波を出してみました。

東京と神奈川の県境の山ですが、流石に高いところはグッドで、東京や神奈川県はもちろん、山梨県や千葉県からも応答があり、やって居る本人も驚くほど遠くへ飛び、ニコニコの状態でした。

しかし、電池の性能が現在と比べてかなり劣るため直ぐに電圧低下が起こり、予備の電池と交換する必要がありました。一度に単一乾電池八個を使うので予備に十六個を持って行った時などは、本体もかなりの重量なのに電池の重さに参りました。

今のUHFトランシーバーなどは五倍の出力があってもポケットに入ってしまうほどで、今の同好の士には、あの苦労など理解して頂けないと思います。

私のお宝的な存在のこのトランシーバーですが、いつか復活の時が来ることを願っています。



コメント(アーカイブ)

完動のようで、すばらしいです。
大丈夫です、ホイップでも イースポ で
日本全国とQSO可能です。
すばらしいAM 機会が有ればまた運用したいです。
30年ほど前ですが、キットの0,5W機で
オールエリアQSO出来ました。
昨年末 RJX-601を ヤフオクで
売ってしまいました。

Posted by  まぐま at 2006.7.7 22:19:18
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忘れていました、「イースポ」ってコトバ、電離層の一つ、スポラディックE層での電波の反射現象ですが、21メガや28メガでも発生し、イレギュラーな電波の伝播で、普段は電波の届かない地域と難なく交信出来てしまい、何か儲かった様な気分になったものです。
余談ですが、昨年、東京小金井市にあるJJYも管轄するNICT(元通信総合研究所)の一般公開日に行った時に、電波の伝播に関するパネルディスカッションで、これからは「電離層」と言わず「電離圏」となると聞きました。地球を取り巻く「成層圏」の上空にあるからとの説明でしたが・・・
いっだったか?アキバのジャンク屋に「パナ6」があり、懐かしく手に取ってみましたが、程度も悪く、修理にも手が掛かりそうなので、元の場所へソッと戻しました。当時の六メータバンドではダントツの人気で多くのユーザが居たのを覚えています。
いずれにしても六メータはHFとVHFの両方の良いとこ悪いとこを兼ね備えていて、今でも面白いバンドだと思います。
Posted by  BlueMac at 2006.7.8 02:19:54
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2006年7月6日木曜日

「TRIO」ロゴのアマチュア無線機の箱が幾つも出てきましたが・・・

先般、実家の押入を整理している途中でこんな段ボール箱が出てきました。

私が其処を離れてから三十五年ほど、その当時から封印されていたモノです。いずれも「TRIO」のロゴの付いた緑と黒地に白抜き文字の統一したデザインのパッケージです。

トリオ(現ケンウッド)の製品
どれもズッシリとした手応えで中身のあることが分かります。遠い過去の記憶を辿るなかで、恐らく、そのものズバリが未だ当時のままの状態で寝ているのでは?と自分自身でも推測しています。

これらは正に私だけの「タイムカプセル」です。

撮影時点では未開封ですが、直ぐに開封することも憚られ、いずれ機会をみて、ひとつヒトツ、ユックリと開けてみたいと思います。何とも今は、はらはらドキドキの心境です。


仮に中身が生きていたとしても、現世では活動することも叶わず、単にその姿を見て往時を偲ぶだけかも知れませんが、私が今日あるのは、これらとのご縁から発した人生だったかと思うと今は感慨もひとしおです。



コメント(アーカイブ)

 未開封で存在するとは!
手を入れれば十分動体保存可能では
すばらしい!
Posted by  まぐま at 2006.7.6 10:20:35
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往年の名機ですね。
ほとんど真空管式でしょうから、
今じゃお宝ですね☆
Posted by  mollet at 2006.7.6 10:49:58
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皆さんゴメンナサイ。誤解される様な文章になっていたようです。
所帯を持った三十五年ほど前に、それまで使っていたモノを元箱に収めて押入の奥に入れ、いずれは取りに帰る積もりで家を出ました。
しかし、それ以来、取り出して中を改める事も無く今日に至っていて、その間に於いて封印された状態だったということです。
いずれも、昭和三十年後半から四十年前半まで色々なシーンで活躍してくれたモノ達です。
その当時は、正に真空管時代からトランジスタ時代への移行時期でしたが、これらの殆どがマダマダ真空管によるものでした。
ただ、このなかでTR-1000だけはオールトランジスタ製で、アルミ製パネルに鉄製のケースとシャーシー、単一乾電池八個で動作する、当時としては画期的な携帯型のモノでした。
小型軽量で野外での使用に最適などとの宣伝文句につられて買い、東京郊外の高尾山へ担いで登りましたが、ベルトが肩に食い込む重さに閉口しました・・・今は昔の話です。
Posted by  BlueMac at 2006.7.6 12:10:31
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