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2016年8月28日日曜日

ソニーショールーム/ソニーストア銀座、本日を以て休業し、移転

西銀座ではランドマーク的な存在であったソニーショールーム/ソニーストア銀座。
我が家のAVはソニーで占められ、これまで何度も、ここのスタッフには色々とお世話になっていたが、本日を以て一時休業、残念としか言いようが無い。
移転先は、現在のところから、晴海通りを東に行き、銀座四丁目の交差点の先の右手、たぶん、三越の向かい側のビルと思われる。



ソニーからのメール。

日頃より、ソニー製品をご愛顧いただき誠にありがとうございます。

ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座は、ソニービルをリニューアルする事業計画「銀座ソニーパークプロジェクト」にともない、 2016年8月28日(日)をもって一時休業します。
そして、銀座4丁目交差点「GINZA PLACE」ビルに場所を移し、2016年9月24日(土)に移転オープンいたします。
お客様にはしばらくの間、たいへんご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます。

ソニービルでの営業期間
2016年8月28日(日)19:00まで

ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座 休業期間
2016年8月29日(月)から9月23日(金)まで休業

■ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座 移転先
2016年9月24日(土)より開店(予定)
東京都中央区銀座五丁目8番1号
GINZA PLACE 4-6階フロア

ケンウッド、APRSと D-STAR両対応のハンディーを発表、

8月8日、ケンウッドは、ハンディータイプのアマチュア無線機最上位モデル、144MHz & 430MHzデュアルバンダー「TH-D74」を発表。20日、21日、東京ビッグサイトで開催のハムフェア2016に出品展示した。発売は8月下旬からで、価格は72,800円(税別)だとか。

TH-D74
この TH-D74は、業界で初めて「APRS」と「D-STAR」の両方式に対応するとともに、ワイドバンド(HF帯SSB/CW)の受信機能や各種インターフェースなど、これまで培ってきたケンウッドの無線技術を搭載したハンディータイプのアマチュア無線機として、さまざまな無線運用に応えるとある。

アマチュア無線のデジタル化は、時代の流れに沿った物であるが、当のケンウッドを始め、ヤエス、アイコムが、必ずしも同じ方向を向いていない。
これまで、ケンウッドは APRS、アイコムは D-STAR、ヤエスはヤエスなりの方式と三者三様で来た。
しかし、どれも日本では、それほど普及していない。
国土の広い、アメリカでは、従来からランドモービルとかマリンとか、日本でのカーステレオに匹敵するほどに無線設備が整っている。
それ故、彼の地での評価がやがて日本にも波及してくることを期待したい。

この TH-D74だが、TS-2000の前例に似て、ハードウェア的には 幕の内弁当の如く、何でもかんでも詰め込んで、これ一台さえあれば全て OKとしたことだ。
数々の便利な新機能を採用し製品化されたが、応分に価格も高め?暮れ位まで、市場の評価を待ちたい。

蛇足だが、
ハムフェア2016で TH-D74が発表されたからには、来年のハムフェア2017では、恐らく HF機の新製品発表があるだろう。
TS-99Oから久しく間が空いているので、往年の名機、TS-870の後継機であって順当だろう。然れば、型番は自ずと TS-88Oで決まりだ。

TH-D74の詳細は以下、
http://www.kenwood.com/jp/products/amateur/handy/th_d74/

2016年8月8日月曜日

LAFAYETTE はトリオの対米ブランドでは無い、

昨今は見聞きしない、この LAFAYETTEだが、年配のアマチュア無線家には聞き覚えがあるかも知れない。
トリオの通信型受信機 9R-4あたりから JR-300S頃まで、この LAFAYETTE社が、アメリカ国内で販売していた。
しかも、通信型受信機ばかりでなく、トリオの FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなども相手方ブランド、いわゆる OEMで製品を提供していた。
この時代は、日本を含む東南アジア系の数多くの会社が LAFAYETTE社とOEM契約をしていた。
当時のトリオも、アメリカに自前の販売会社を持たなかったため OEMビジネスをしていた訳だ。

TRIOのVFO-2、右はLafayetteのHE-89
因みに、LAFAYETTEでの型番の一例だが、
 HE-10 (9R-4J)
 HE-30 (9R-59)
 HE-80 (JR-60)
 HA-63 (JR-200)
 HA-350 (JR-300S)
 HE-74 (VFO-1)
 HE-89 (VFO-2) 右の画像

時が移り、1961年、トリオは北米進出の足掛かりとなる KENWOOD ELECTRONICS Inc. をアメリカ西海岸に設立した。
1963年、全半導体化したステレオレシーバー KT-10をKENWOODブランドで発売するに至り、OEMビジネスは順次縮小し、数年後には打ち切られた。

以後、国内は TRIO、海外では KENWOODのブランドを使い分けることになった。
1986年、社名を株式会社ケンウッドに変更するに伴い、新ロゴの KENWOODを統一ブランドとした。

余談だが、
未だに、LAFAYETTEをトリオの対米ブランドと思い込んでいる御仁が居られて、苦笑するばかりだ。

2016年8月6日土曜日

春日無線工業製の 6R-4Sの "S" は何を意味するのか?

春日無線工業(後のケンウッド)製の通信型受信機 6R-4Sだが、6 は真空管が六本、R は Receiver(受信機)、4 は四バンドと理解できるが、サフィックスの "S" は何を意味するのか?

TRIO Amateur Radio Receiver 6R-4S

この後に出た 9R-4は正しく、それで解釈できるし、それに続く後継機も 9R-59Dまで、何となくネーミングが理解できる。

その後、サフィックスに "S" が付く製品は、暫く途絶えていたが、9R-59DSで復活し、同時期の SSB受信機 JR-300Sも、この例に倣った。以後、TX-388Sや JR-500S、TX-20S/15S/10Sなどが続いた。

どうやら、SSB対応機には末尾に "S" を付けたらしいことがわかった。

では、 6R-4Sの場合は、どの様に解釈するのか?
当時のカタログの記述から読み取ると、セミキットで発売したとあるが、自作出来ない人や急ぐ人には完成品も用意するとあった。
このことから、SemiKit(セミキット)を意識して型番のサフィックスに "S" を付けたようだ。

最近のネット検索の結果では、製品に同梱された実体配線図には 6R-4Sとあり、回路図には 6R-4とありどっち付かずで、本当のことは分からないが、多くの画像で型番は 6R-4Sとシッカリ読み取れる。
今にして思えば、型番が 6R-4であれば、9R-4とのシリーズ化の意図は納得出来そうだ。

その後、6R-4Sは、その型番を以下の様に分類して受注したようだ。
 6R-4SA:球無しセミキッ 10,500円
 6R-4SB:完成品 17,550円
 6R-4SC:球無しオールキット 15,200円

A, B, C は社内呼称で、製品パネルには表示されないルールとしたようだ。
6R-4Sは、春日無線工業が手掛けた初の製品だけに、ルールが後追いしたのではないかと思われる。

蛇足だが、
その後、SSBの時代になり、その "S" は、製品ランクの区別に用いられる事になった。

2016年8月5日金曜日

9R-4/ 9R-42と同世代のトリオのオーディオ製品とは

通信型受信機 9R-4や 9R-42を立て続けに製品化していた春日無線工業(後のケンウッド)だが、時を同じくして、将来の経営の柱になる FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ事業に参入し始めた。
昭和30年代の前半のことで、具体的には、どの様な製品を世に出したのか?分からないでいたが、たまたま、古い資料を整理していて、当時のカタログの様なモノを見つけ出した。
以下だが、型番からして、若く、正しくトリオのオーディオの原点になった製品のようだ。

上から順に、
Model HF-1 可変帯域HiFiラジオチューナー 完成品 8,330円、球無しキット 5,460円
Model HF-2 HiFiラジオチューナー付プリアンプ 完成品 14,700円、球無しキット 8,600円
Model HF-3 13W 6V6pp メインアンプ 完成品 17,500円、球無し完成品 14,420円



上から順に、
Model HF-6P プリアンプチューナー 完成品 15,400円
Model HF-8PM トライアンプ 完成品 29,800円
5M-2 2バンドホームラジオ 価格不詳



他にも以下の型番の製品があるのを確認したが、立て続けに商品化を進めていたことが窺い知れる。

Model HF-5 プリアンプチューナー
Model HF-6 HiFiアンプ
Model HF-7 HiFiアンプ

これまでのアマチュア無線用の通信型受信機の開発スピードに比べ、一気に、これだけのオーディオ製品を商品化していることは、今にして思えば驚きだ。

蛇足だが、
型番のプリフィックス、HF は High Fidelity(高忠実度、高再現性)を意味してのことかも知れない。

追記
ヤフオクで、HF-1を見つけ削除される前にダウンロードさせて貰った。
外観は痛みが激しかったが、画像処理アプリ Adobeの Photoshopを用い、私なりにレタッチして本体だけをクロップした。
ツマミがカタログとは異なるが、本来の姿を窺い知れる状態に安堵した。これが、トリオが世に出した最初のオーディオ製品なのだろう。
TRIO AM Tuner  Model HF-1 

2016年8月4日木曜日

トリオの並四や高一の初版日付に意義あり

トリオのコイルに同梱されるデータシート、いわゆる製品の説明書の日付が実体を表しておらず、その多くが、1950年代半ば、春日無線工業時代の初版日付になっている。
しかし、結論から先に言えば、現存する多くが、トリオ株式会社時代の改訂版なのだ。

以下は、私物の「並四」と「高一」の説明書を重ねてスキャンした。いずれも、説明書の右上の部分だ。


「高一」の部分を見ると、
1954年9月2日初版発行、その下へ「トリオ株式会社」「トリオ商事株式会社」と並ぶ。
「並四」は 1957年1月10日初版発行とある。

一番上、英文社名の「TRIO CORPORATION」がスミ帯に、抜き文字でシッカリと見える。
つまり、この説明書を同梱した製品は少なくとも トリオ株式会社へ社名変更した1960年以降の出荷であることが分かる。

どうして、そんなことになったのか?
恐らく、紙面のスペースが足りず、改訂日付を意図的に?省き、改訂が有っても改訂日付を残すことがなかった。
それにより、実体は改訂版だが、初版日付だけが最後まで独り歩きしてしまったようだ。

1960年、春日無線工業株式会社からトリオ株式会社への社名変更でも、説明書の社名部分の差し替えだけでお茶を濁してしまった。

それ故、現存する多くの説明書は、日付だけは春日無線工業株式会社の時代で、現実は、トリオ株式会社時代の改訂版が殆どだ。
この手の蒐集家とっては、「初版」などとあると、内心ではニンマリだが事実は丸で違う。

一番上に、「TRIO」ロゴと英文社名の「TRIO CORPORATION」がキッチリと表示されているので、目敏い人は、直ぐに、その辺の事情を察するはずだ。

蛇足ながら、
私物の並四は 1957年、高一は 1954年が初版日付だ。
しかし、これらは、創業して間も無く市場に出ているはずだから、それより前の日付の物があって良さそうだが、いま以て確認出来ていないのが不思議と言えば不思議だ。

2016年8月3日水曜日

トリオ製のテレビジョン受像機

これは、昭和30年前後、東京都大田区雪ヶ谷町に在った、春日無線工業東京研究所(後のケンウッド)の時代に発行していた、トリオラジオクラブの季刊誌「TRIO RADIO CLUB」の第12号だ。

年会費 100円で会員を募り、ラジオや電蓄、アンプなどの製作記事、アマチュア無線の解説、 短波放送の受信のための記事、サービス情報、質疑応答、会員の便りなどを一冊にまとめ、年四回、会員宛てに郵送していた。主筆は、春日二郎であり、その他、数名の技術者が執筆していたようだ。


この第12号は、1956年(昭和31年)3月発行で、目次には、
シャックめぐり、
メインアンプ HF-3について、
サービスメモ、
Hi-Fiラジオの製作、
読者のページ、
オシロスコープの扱い方、
インターバルシグナル、とあり、いずれも、広義でのラジオ少年向けに違いない。

今回、これを取り上げたのは、表紙にテレビジョン受像機「14T15」の写真が付いていることだ。

日本でのテレビ放送は、既に三年前に本放送が始まっていたが、トリオがテレビジョン受像機を独自に研究開発していたことを、これで初めて知った。

今から六十年も前、アマチュア無線用の通信型受信機 9R-4とか 9R-42が世に出た時代と重なる。それから五年くらい後に、我が家にも、やっと来た 14型ブラウン管式のテレビに似ていて暫く見入ってしまった。

同じ時期に、同業の富士製作所(スター)もテレビジョン受像機のキットを販売することで準備していて、そのカタログも探せばある?だろう。
大手の家電メーカーは、こぞってテレビ市場へ参入していた時期だったが、中小メーカーは、そんな流れに翻弄され、淘汰されていった。

結果的に、トリオのテレビ市場への参入はお蔵入りになり、忘れ去れてしまった。やはり、オーディオ専業メーカーとして、生きる道を選択したものと思われる。

余談だが、トリオのテレビ受像機は1955年の発売で、国産初のテレビはシャープ製で1953年発売されたらしく出遅れ感は否めない。

2016年8月2日火曜日

春日無線のアマチュア無線用送信機の第一号は?

トリオ(後のケンウッド)のアマチュア無線用の送信機で、最初に製品化されたモデルを知っている人は、恐らく少ないと思う。9R-59と TX-88Aを使っていた世代でも、今となっては、その前身の「TX-88」と記憶しているかも知れない。

A4版8ページのデーターシート
戦後再開されたアマチュア無線の黎明期に出て来たため、出荷台数も少なく、記憶に残らなかった?春日無線の第一号のアマチュア無線用の送信機は、文字通り 「TX-1」である。

手元の資料から、アマチュア無線用受信機 9R-4より半年くらい遅れて、1954年(昭和29年)後半か翌年に発売されたようだ。

まずは、セミキットで出荷された。
当時は、自作が当たり前の時代だったから、何の抵抗もなく市場から受け入れられたらしい。
主要部品がパネルやシャーシーに取付済みで、後は手元のパーツや足りない部品は秋葉原で買い求めて完成させた訳だ。

ただし、このセミキットは、無線電信用送信機の部分だけ。
無線電話用には別に変調機を自作することになる。しかも、電源も自作する必要があった。
セミキット以外の部分も半端で無く、完成までには大変な努力を要し、敷居の高かった製品でもある。

私自身も、それがどんな物なのか?現物を見たくて居たが、たまたま、遠方に住む友人との話の中で、彼のローカルに持っている人が居ることが判明した。
オーナーは、かなり先輩の方で、往時、セミキットから周辺装置まで自作した完成品を保管していることが分かった。

以下は、メール添付で送って頂いた画像だが、プライベートの部分の映り込みもあり、画像処理アプリ Adobeの Photoshopを用い、私なりにレタッチして本体だけをクロップしてある。

セミキットの部分は、上段、大きなダイヤルが二つある部分で、その上下の部分は自身が自作して、システムとして完成させている。
推定だが、このシステム一式の幅は 450mm、高さは 900mm、重量は不詳。

因みに、このセミキットは、球無しで 16,700円(大卒の初任給に相当)と価格表にある。

上段がアンテナ整合機、その下が TX-1部分、更に下が変調機/電源、一番下が主電源

回路構成は、6BA6(VFO)/6AR5(Xtal) - 6AR5(BUFF) - 807(FINAL)
送信周波数:3.5Mc & 7Mc。 出力;10 - 20W。 発振:VFO or Xtal。
変調:P & SG同時変調

トリオ、なぜ 9R-4J/42Jは誕生したのか?

戦後五年を経過して、1950年(昭和25年)に電波法が施行され、翌年からアマチュア無線技士の国家試験が開始、更に翌年、アマチュア無線局の免許申請も受付が始まった。

それを待っていたかのように、1952年、春日無線(後のケンウッド)は五球スーパーに BFOと ANLの回路を付加した受信機 6R-4Sを発売した。(BFOと ANLが無ければタダのラジオだが) 外観も含め、一応、通信型受信機と呼べる物だった。


見た目は、アメリカの通信機メーカー Hallicrafters社の S-38と言う通信型受信機にソックリ、今風に言えば、パクリその物だった。
戦後間もない頃で、アメリカの事情には疎く、並四や高一ラジオに見飽きていた人々には、斬新ささえ感じたようだ。

この 6R-4Sから二年が経った1954年に、トリオの通信型受信機の礎となる 9R-4が発売になった。と、同時にアマチュア無線用に特化した 9R-42もラインナップされた。
高周波一段中間周波二段、いわゆる「高一中二」と呼ばれ、この当時の通信型受信機の完成型と言っても過言では無い。

それから四年が経った1958年、
型番の末尾に "J" を付け足した 9R-4Jと 9R-42Jが登場した。
フロントパネルを見ると直ぐに気付くが、CW/SSB受信用にBFOのピッチコントロールのツマミが新たに追加された。それ以外に電源部も見直された。
では何故 "J"なのか、いま以て分からないでいたが、ネット検索での結果、アマチュア無線雑誌 CQ ham radio(1959年4月号)で、設計に携わった横山耕三(JA1SR)が執筆したトリオ9R-4J紹介の記事(9R4と9R4Jはどうちがうのか)に、”J”はJuniorに通じるとあり、これが型番の末尾の”J”の由縁と理解した。

外観を見比べるとよく似ているが、内部を覗いて誰もが納得した。

9R-4 と9R-42の真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6SK7(IF) - 6SK7(IF) - 6SQ7(AF) - 6V6(PA)
6BE6(OSC), 6SN7(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

アンダーラインはGT管、その他はMT管

9R-4Jと 9R-42Jの真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6BD6(IF) - 6BD6(IF) - 6AV6(AF) - 6AR5(PA)
6BE6(OSC), 6AV6(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

何が変わったのか?
9R-4 と9R-42に採用された真空管は、MT管と GT管の混在だった。
それが、9R-4Jと 9R-42Jでは一目瞭然、整流管の 5Y3を除き、残り全てが MT管に入れ替わっていた。

では、何故に、MT管と GT管の混在だったのか?
往時、その事情に通じた人から聞いた話だが、MT管の調達コストが高かった為だと言う。

その後、五球スーパーが一般家庭に普及しはじめ、MT管の価格も大量生産で下がり始めた。

それと時期を同じくして、春日無線は、将来の経営の柱となる、FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ市場へ参入した。

当然、MT管の調達数は、アマチュア無線機の必要数よりゼロが一桁多く、必然的に調達コストは大幅に安くなった。
そうなれば、GT管を使うコストメリットは全く無しとの判断に至り、5Y3以外は、MT管へ総取っ替えになった。真空管の良いところは、同等管との差し替えであれば、回路定数の変更も殆ど必要無く、置き換えられることだ。

言ってみれば、このモデルチェンジ、
ただただ、メーカーのご都合によるもので、ユーザーは惑わされただけかもしれない?

蛇足ながら、
それから二年後、更に 9R-59へモデルチェンジしたが、6BD6を 6BA6に、6AR5を 6AQ5に差し替えた以外、真空管のラインアップは、そのまま踏襲された。
最後まで居残った GT管の 5Y3は、9R-59Dで、やっと半導体に置き換えられ、お役御免になった。