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2016年12月26日月曜日

「It's a Sony展」、歴代のソニー製品の数々を懐かしく観て来た

ソニー株式会社は、2016年11月12日(土)から2017年3月31日(金)まで、都内西銀座のソニービルで「It's a Sony展」を開催している。
ソニービル建替前のカウントダウンイベント「It's a Sony展」である。
「銀座ソニーパーク」オープンに向け、創業から70年間の歴代製品を展示すると共に、ソニービルの50年を振り返る展示となっている。

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ニュースリリースによれば、
創業70周年を迎えた今年、ソニーは新たな時代への挑戦を象徴する取り組みとして、ソニービルを大規模にリニューアルする事業計画「銀座ソニーパークプロジェクト」に着手した。
このプロジェクトでは、ソニービルの現在の敷地を2018年夏から2020年秋の間は「銀座ソニーパーク」として広く開放し、その後2022年までに新しいソニービルを建設、新たに開業する予定。これに伴い、ソニービルは、2017年3月31日(金)をもって営業が一旦終了となり、建て替えに向けた工事が開始される。

この一時閉館に先立ち、ソニービルが歩んだ50年の歴史および今後の進化について、歴代のソニー商品とともにご紹介するカウントダウンイベント「It's a Sony展」を開催中だ。

全138日間にわたって展開される「It's a Sony展」は、前半と後半の2部に分かれている。
2016年11月12日(土)から2017年2月12日(日)までの前半は、「歴史」をテーマに、日本初のトランジスタラジオ TR-55 や初代ウォークマン TPS-L2、エンターテインメントロボット AIBO など、ソニーが世界に驚きをもたらしてきた商品の数々を、当時の広告などとともに展示している。

展示フロアでは、我が家でも使っていた製品がアチコチに見られ、往時の生活が思い出された。
そんな中に、小型カラーテレビの「CITATION」も展示されていた。
我が家でも、それを、1979年以来ずーっと使い続けて来たが、地デジ化を数年後に控えた2007年、漸く液晶テレビに買い替えた。

「CITATION」 KV-1375D

三十年弱、いつも家族と一緒にあった、いま風に言う情報機器だった。
1980年頃、ソニーのカラーテレビシリーズは「CITATION」と呼ばれ、同時期にソニーは小型ジェット機「CITATION」のビジネスを始めたこともあってのネーミングだったと記憶している。

当時は、俗に言う「AV」などと言う概念が無い時代で、テレビはお茶の間で家族が一緒に視聴する家電製品だった。
しかし、テレビは家族の共有財産的な概念から、一人一台のコンセプトを具現化しようとしていた時代でもあった。我が家の CITATION KV-1375Dは 13型。上部にシッカリと握れるハンドルが付き、更にそれに沿わせるようにロッドアンテナがあり、部屋の何処へでも移動し好きなスタイルでテレビを視ることが出来る仕組みだった。

いま思えば当時の13型にしては価格も高めの99,800円だったが、ソニーならではのコンセプトが受け入れられ、この KV-1375Dは「CITATION」シリーズの中核的な存在だった。

選局は「ジェットセンサー」とか言う、ソニーならではのプッシュスイッチよる切替で、その当時、一般的だったロータリー選局に無いスピーディーさもあり、何となくカッコ良い雰囲気があった。

しかし、それが後年になって仇となり、実は電子選局のプリント基板に問題があり、我が家では毎年梅雨時にはスイッチONで、まずモノクロ画像が現れ、内部が暖まる十五分ほどでカラー画像に切り替わる現象を経験した。
ソニーに聞いたところ基板ごと交換すれば改善されるが、既に製造中止から十数年経っていて交換パーツもないと言われた。

専用リモコンも無い時代のモノだったが、それほど不便にも思わずに居たが、さすが地デジの時代に13型とは言えバカでかく、画質も地デジを視てしまうと何ともボケボケの画像に損をした気分にもなった。

部屋のレイアウトを思いっきり変えたこともあり、遂に居場所を失い引退させることに決心したが、今にして思えば、たった十年前の事である、
この十年のテレビ進化は留まることを知らず、4Kとか 8Kの実用化も見えてきて、技術の進歩には驚くべきものがあるように実感した。

「It's a Sony展」の今後だが、
2017年2月17日(金)から2017年3月31日(金)までの後半は、「未来」をテーマに、2018年夏にオープン予定の「銀座ソニーパーク」の様子を先取りしたインスタレーションを展示予定とか。

「It's a Sony展」を通じて、これまでソニービルをご愛顧いただいた全てのお客様、そして50年間共に歩んできた銀座のコミュニティへの感謝、「銀座ソニーパークプロジェクト」の今後の姿についてお伝えしてまいります・・・とソニーは結んでいる。

2016年10月18日火曜日

JVCケンウッド、安藤 梢選手とアドバイザリー契約を締結

安藤 梢選手、JVC KWDのHPから転載
JVCケンウッドのニュースリリースによると、
なでしこジャパンでは FW、ドイツ女子サッカー・ブンデスリーガ SGSエッセンに所属する安藤 梢選手とスポーツコーチングカメラソリューションやスポーツ対応ヘッドホンなど、スポーツ分野での商品開発に関するアドバイザリー契約を締結したと広報している。

単なる、スポンサー契約では無く、JVC KWDが展開するスポーツコーチングカメラソリューションを、所属チームでの練習や日頃の研究活動に活用してもらい、そのフィードバックを今後のさらなるソリューション開発に生かすことで、安藤選手の活動をバックアップしていく。
また、今後発売するスポーツ分野向けソリューションやプロダクツ事業のスポーツ関連商品のプロモーション活動での起用なども検討していくとある。

2016年10月11日火曜日

JVCケンウッド、マクラーレンF1チームとのオフィシャル・サプライヤー契約が25周年に

JVCケンウッドのニュースリリースによると、
マクラーレンF1チームと無線システムの供給に関するオフィシャル・サプライヤーだが、三重県の鈴鹿サーキットで開催の日本グランプリ決勝(10月9日)において、同チームへの無線システムの供給が25周年の節目を迎えたとある。


1991年、マクラーレンF1チームと当時のケンウッドは、オフィシャル・サプライヤー契約を締結し、同年、鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリにおいてKENWOODブランドの無線システムを初めて供給した。

それ以来、グランプリレースの期間中、ドライバーとチームスタッフの間で重要なコミュニケーションを行う際に使用される信頼性の高い無線システムとして供給するとともに、専任技術スタッフがチームに帯同し、全面的なサポートを行ってきた。

ケンウッドの無線システムは、音声の秘匿化やノイズの低減といった特長とともに、レース中の120dBを超える強烈な騒音下でも、チーム内における正確なコミュニケーションを可能にした。

技術力が厳しく試される世界最高峰のモータースポーツにおいて、これまで培ってきたケンウッドの無線システムに関する経験と知見を以て、信頼性の高い音声通信をマクラーレンF1チームに提供していくとしている。

2016年9月24日土曜日

「TRIO RADIO CLUB」、春日無線が発行した季刊誌だ

春日無線工業(後のトリオ→ケンウッド)時代、トリオファンを対象に発行されていた小冊子に「TRIO RADIO CLUB」があった。
東京都大田区雪ヶ谷町に在った、春日無線工業の在京部門である、東京研究所が発行した、トリオラジオクラブの季刊誌だ。

トリオラジオクラブの季刊誌 「TRIO RADIO CLUB」

年会費 100円で会員を募り、ラジオや電蓄、アンプなどの製作記事、アマチュア無線の解説、 短波放送の受信のための記事、サービス情報、質疑応答、会員の便りなどを一冊にまとめ、年四回、会員宛てに郵送していた。

毎号、B5版で20ページほどの体裁だった。
主筆は、春日二郎であり、その他、(当時のラジオ雑誌にも筆者として名がある) 横山、宮地、藤巻など、数名のベテラン技術者がチューナー/アンプからアマチュア無線/SWLやオシロスコープなど測定器のコンテンツを代わる代わる執筆していた。

推測だが、1955年を挟む五年間くらいの発行だったようだ。

1950年台後半、東京都大田区雪ヶ谷町から、新築なった (大田区調布千鳥町の) 新工場へ移転し、それまでの手作業からベルトコンベアーによる量産開始とともに、本業で手一杯となり、こちらには手が回らず廃刊となった。

この「TRIO RADIO CLUB」は会員向けの限定頒布であり、恐らく現存する物は希少と思われ、全体像を自分も承知していない。

2016年9月22日木曜日

春日無線の「6R-4S」は 1952年発売で間違いないのか?

春日無線工業(後のトリオ→ケンウッド)初の通信型受信機「6R-4S」の発売日を知りたくて、WEBで検索すると、大方が 1952年(昭和27年)となる。

六十四年も前のことで、還暦の人は論外、古希の人でさえ当時は小学生だ。
その根拠を知るとは到底考えられないが、それでいて、当てずっぽうに 1952年発売などと宣う。今となっては、喜寿とか傘寿の方々の記憶が頼りかも知れない。

ネタ元は何処の誰だったのか?今となっては辿りようも無いが、引用のまた引用、いわゆる、ネットの孫引きで、それが拡散してしまった数だけ信憑性があるような錯覚に陥っている。

これとは別に、WEBの検索でヒットする唯一の確かな情報が、春日無線時代に発行されたトリオテクニカルデータシートだ。「6R-4S」は、以下の物が流布しているが、出所が明確なので判断の一助になる。
データシートの上側の一部分だ
上は「6R-4S」のデータシートの一部分だが、右上の型番の下に「1955年9月10日初版発行」とある。
この日付を鵜呑みにすると、同じ通信型受信機 9R-4より後の発売になるが、それは違う、9R-4より 6R-4Sの方が先と言うことでは、全員一致の見解だ。

多くの他の事例を調べると、このトリオテクニカルデータシートは、製品の発売にタイミングを合わせて発行されていた訳では無さそうだ。
どちらかと言えば、遅れて出て来て希望者に頒布された。それ故、発行日から発売日を類推することは出来ない相談だ。

やはり、当時発行されていたラジオ雑誌の記事の中から拾い出すのが適当かも知れないが、当の雑誌を探し出す方が、もっと大変かも知れない。

2016年9月10日土曜日

「9R-59Cライン」という言い方が、あったらしい?

自分がアマチュア無線局を開局したのは 1960年代の頃。
その頃、定番だったアマチュア無線機は、トリオ(後のケンウッド)製の受信機(9R-59)と送信機(TX-88A)の組み合わせだった。

1959年(昭和34年)、電信級電話級アマチュア無線技士の国家試験が開始され、以後、爆発的に免許所得者が増加した。
それに呼応するように製品化されたのが、この 9R-59と TX-88Aである。
どちらも、その性能とデザインでは、他社を寄せ付けず、AM時代を象徴する製品となった。

9R-59
さて、
最近になって、WEBで、「9R-59Cライン」と言う記述に気づき、その前後の文章を繰り返し読んでみた。製品名としての「9R-59C」は存在しないが、「9R-59」のキットを購入して完成させたモノを指すようだ。
推測だが、当時のトリオの製品である、TX-88Aを始め SM-5や VFO-1、CC-6なども、キットから完成させ、それら全体を引っくるめて「9R-59Cライン」と表現していたらしい。

要は、自分のリグは、全て、自分自身がキットから完成させたモノだと言う、いわゆる、ラジオ少年達の自慢話の発露だったのかもしれない。

ところで、何故に「Cライン」と呼んだのか?
当時、トリオは、完成品もオールキットも全く同じ外観の段ボールケースだった。それ故、梱包が済んでしまうと、完成品かキットか分からなくなってしまう。
それを区別するため、親指と人差し指を丸く合わせた位のゴム印で、段ボールケースの側面に、完成品は B、キットは C と捺印した時期があった。
ここから、Cラインが生まれたのではないかと思われる。

飽くまでも、製品管理用の目印で、型番とは縁がないが、誰でも目に付くところにあるので、それが切っ掛けになったのかもしれない。
その後、親指と人差し指を広げた位の(オールキットの)シールが貼られるようになり、最終的には、箱に直に印刷済みとなり、捺印が不要になった。

余談だが、この Bと C 以外に、A(セミキット)や D、Y、T などがあったが、キットのビジネスが衰退するに連れ、自然消滅したようだ。

しかし、「9R-59Cライン」という言い方を私は知らない。
当時、特定のグループあるいは特定の地域では恒常的に使われていたのか?少なくとも私の周辺では初耳だ。

2016年9月9日金曜日

トリオの通信型受信機「6R-4S」の発売日は?

春日無線工業(後のトリオ→ケンウッド)から発売された、初の通信型受信機「6R-4S」の発売日を特定しようとしている。
WEBによる検索では、CQ出版社のサイト(アマチュア無線の歴史)では 1956年、他の多くが 1952年(昭和27年)発売としているが、孫引きが殆どで、その裏付けになる証しが全く無い。
発売から半世紀以上が経過していて、なかなか特定は難しいが、「年月」あるいは「年」でも確証を得たい。
6R-4S

1954年7月発行の「トリオ製品価格表」には、既に「6R-4S」の掲載があるので、それ以前の発売であることは確かだが・・・

追記
「6R-4S」の TRIO Technical Data Sheet の初版日付は(想定外の)1955年9月10日であった。
また、これに採用された、4バンドスーパー・コイルキット「KM-4」の TRIO Technical Data Sheet の初版日付は調査中。

トリオのプリセレクター「SM-1」の発売日は?

春日無線工業(後のトリオ→ケンウッド)から発売された、プリセレクター通称SIGNAMAX 「SM-1」の発売日を特定しようとしている。
ヤフオクでは希に売り買いがあるが、WEBによる検索を繰り返しても、発売日に関する記述は得られていない。
発売から半世紀以上が経過していて、なかなか特定は難しいが、「年月」あるいは「年」でも確証を得たい。
SM-1

1954年7月発行の「トリオ製品価格表」には 既に「SM-1」の掲載があるので、それ以前の発売であることは確かだが・・・

追記
「SM-1」の TRIO Technical Data Sheet の初版日付は(不鮮明ながら)1954年7月15日らしい。
なお、これに採用された、3バンド・プリセレクター・コイルキット「KP-3」の TRIO Technical Data Sheet の初版日付は 1954年7月10日である。

2016年9月3日土曜日

半世紀前のトリオのアマチュア無線機の発売日だが

半世紀も前、春日無線工業株式会社(後のトリオ→ケンウッド)の製品の発売時期について、ネットで検索すると、その発売した年に諸説がある。

大昔のことでもあり、ご当人の記憶違いや記憶の薄れ?あるいは勘違い、なかでも一番危惧されるのが、ネットでの孫引きである。

検索で得た事柄の真偽を確かめること無く引用し、更にネットで広めてしまう。
それを、別人が、また検索で得て引用し、間違いがネズミ算的に拡散してしまう訳だ。

本論に戻るが、
春日無線工業(株)が発売した、6R-4Sや 9R-4/42、9R-4J/42J そして TX-1などの発売時期を私なりの考察で以下に示した。


手元にある、当時の春日無線工業(株)が発行した「トリオデータシート」や「トリオ製品価格表」それに同社発行の季刊誌「TRIO RADIO CLUB」を突き合わせ、読み取れる発売年は、明確に記してある。

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トリオ初の通信型受信機 6R-4S 1952年(昭和27年)発売?

発売年に確証が無い。
球無しセミキットで発売。完成品の受注も可とある。
1954年(昭和29年)の資料では、球無しオールキットも発売。(ラジオ少年の要望?で)金属ケースとダイヤル機構一式の受注も可とある。

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トリオ初のプリセレクター(シグナマックス) SM-1 1954年(29年)発売?

1954年(昭和29年)のトリオ製品価格表では、セミキットと完成品、オールキットが掲載されている。
電源回路は無く、親受信機からお裾分けしてもらう仕組みだが、電源を内蔵した製品の受注も可とある。

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通信型受信機 9R-4 1954年(29年)中頃に発売

球無しセミキット(16,200円)と完成品(32,000円)の両方で発売。
翌年、1955年(昭和30年)から、球無しオールキット(27,700円)も発売。(ラジオ少年の要望?で)金属ケースとダイヤル機構一式、メータ付きの受注も可とある。
資料では、9R-42も同時発売とある。

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通信型受信機 9R-42 1954年(29年)中頃に発売

当初、完成品のみ受注。
翌年、1955年(昭和30年)から、完成品と球無しオールキットを発売。

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トリオ初のアマチュア無線用送信機 TX-1 1954年(29年)年末から発売

社内仕分けでは、球無しセミキットであるが、部品表では、バリコンやコイル、メータ(10/100mA)、その他の小物部品とCR類、ビニール線(4m)などオールキットの体裁だ。

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通信型受信機 9R-4J/42J 1958年(昭和33年)中頃

同時発売、完成品と球無しオールキット(17,000円)での発売。推測だがセミキットは無し。

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アマチュア無線用送信機 TX-88 1959年(昭和34年)発売?
球無しオールキット 12,000円
発売年に確証が無い。ネットの検索で、TX-88のデーターシートの発行日付は1959年9月とあったが、他の機種でも発売日よりだいぶ間を置いて発行されていてそのまま鵜呑みは出来ない。
更に、1960年発行のCQ hamradio誌にTX-88の新製品広告のページがあるのを確認出来たが何月号?は不明。

電波法で、新たに施行された電信級/電話級アマ向けに企画された製品。
球無しオールキットでの発売。

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通信型受信機 9R-59 1961年(昭和36年)春に発売

JA1VBN局のHPに掲載の、ラジオ技術1961年3月号広告では、3月中旬発売予定とあり、この年の春頃に発売されたようだ。
完成品(33,000円)と球無しオールキット(18,500円)を発売。

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アマチュア無線用送信機 TX-88A 1961年(昭和36年)か翌年の37年には発売

9R-59より若干遅れての発売だった。
球無しオールキット(21,000円)のみ発売。


多くが、半世紀も前のことで、今日に至っては調べようが無い。
CQ ham radioのバックナンバーがあれば、年月は絞り込めそうだが、物量的に無理かもしれない。自分も何十年分か忘れたが、実家に置き去りにした全てが、古紙に変わっていたのを知り、ギブアップ。

冒頭にも書いたが、ネット検索は安直だが、孫引きが殆どで、信憑性に欠ける。
参考にはするが、そのまま鵜呑みは出来ない。
確証の得られる資料をお持ちの方が居られたら、ぜひ、コメント欄でお知らせ頂ければ幸甚である。

追記
CQ出版社のWEBサイトに「アマチュア無線の歴史」がある。
CQ ham radioのバックナンバーから、各社の新製品を拾い集めて制作した物だろう。
しかし、今回の件で検索しただけでも、間違いと思われるモノが相当数あり、全体の信憑性も疑われる事態だ。
例えば、6R-4Sを検索したところ、1956年の発売とあったが、それでは 9R-4より後になる。更に調べると、9R-4は見当たらず、キット 9R-42J(K)と言う(存在しない)型番で1954年に13,500円で発売とある。また、1959年にはキット 9R-4Jを発売とある。9R-59に至っては(完成品25,000円,キット14,350円)とあり、どれもこれも出鱈目(でたらめ)で、いい加減にせよ・・・
もはや真偽を問う以前の状態だ。
CQ出版社のWEBサイトですら、この有様だから、他のサイトでは推して知るべしか?

アマチュア無線の歴史

2016年8月28日日曜日

ソニーショールーム/ソニーストア銀座、本日を以て休業し、移転

西銀座ではランドマーク的な存在であったソニーショールーム/ソニーストア銀座。
我が家のAVはソニーで占められ、これまで何度も、ここのスタッフには色々とお世話になっていたが、本日を以て一時休業、残念としか言いようが無い。
移転先は、現在のところから、晴海通りを東に行き、銀座四丁目の交差点の先の右手、たぶん、三越の向かい側のビルと思われる。



ソニーからのメール。

日頃より、ソニー製品をご愛顧いただき誠にありがとうございます。

ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座は、ソニービルをリニューアルする事業計画「銀座ソニーパークプロジェクト」にともない、 2016年8月28日(日)をもって一時休業します。
そして、銀座4丁目交差点「GINZA PLACE」ビルに場所を移し、2016年9月24日(土)に移転オープンいたします。
お客様にはしばらくの間、たいへんご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます。

ソニービルでの営業期間
2016年8月28日(日)19:00まで

ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座 休業期間
2016年8月29日(月)から9月23日(金)まで休業

■ソニー ショールーム/ソニーストア 銀座 移転先
2016年9月24日(土)より開店(予定)
東京都中央区銀座五丁目8番1号
GINZA PLACE 4-6階フロア

ケンウッド、APRSと D-STAR両対応のハンディーを発表、

8月8日、ケンウッドは、ハンディータイプのアマチュア無線機最上位モデル、144MHz & 430MHzデュアルバンダー「TH-D74」を発表。20日、21日、東京ビッグサイトで開催のハムフェア2016に出品展示した。発売は8月下旬からで、価格は72,800円(税別)だとか。

TH-D74
この TH-D74は、業界で初めて「APRS」と「D-STAR」の両方式に対応するとともに、ワイドバンド(HF帯SSB/CW)の受信機能や各種インターフェースなど、これまで培ってきたケンウッドの無線技術を搭載したハンディータイプのアマチュア無線機として、さまざまな無線運用に応えるとある。

アマチュア無線のデジタル化は、時代の流れに沿った物であるが、当のケンウッドを始め、ヤエス、アイコムが、必ずしも同じ方向を向いていない。
これまで、ケンウッドは APRS、アイコムは D-STAR、ヤエスはヤエスなりの方式と三者三様で来た。
しかし、どれも日本では、それほど普及していない。
国土の広い、アメリカでは、従来からランドモービルとかマリンとか、日本でのカーステレオに匹敵するほどに無線設備が整っている。
それ故、彼の地での評価がやがて日本にも波及してくることを期待したい。

この TH-D74だが、TS-2000の前例に似て、ハードウェア的には 幕の内弁当の如く、何でもかんでも詰め込んで、これ一台さえあれば全て OKとしたことだ。
数々の便利な新機能を採用し製品化されたが、応分に価格も高め?暮れ位まで、市場の評価を待ちたい。

蛇足だが、
ハムフェア2016で TH-D74が発表されたからには、来年のハムフェア2017では、恐らく HF機の新製品発表があるだろう。
TS-99Oから久しく間が空いているので、往年の名機、TS-870の後継機であって順当だろう。然れば、型番は自ずと TS-88Oで決まりだ。

TH-D74の詳細は以下、
http://www.kenwood.com/jp/products/amateur/handy/th_d74/

2016年8月8日月曜日

LAFAYETTE はトリオの対米ブランドでは無い、

昨今は見聞きしない、この LAFAYETTEだが、年配のアマチュア無線家には聞き覚えがあるかも知れない。
トリオの通信型受信機 9R-4あたりから JR-300S頃まで、この LAFAYETTE社が、アメリカ国内で販売していた。
しかも、通信型受信機ばかりでなく、トリオの FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなども相手方ブランド、いわゆる OEMで製品を提供していた。
この時代は、日本を含む東南アジア系の数多くの会社が LAFAYETTE社とOEM契約をしていた。
当時のトリオも、アメリカに自前の販売会社を持たなかったため OEMビジネスをしていた訳だ。

TRIOのVFO-2、右はLafayetteのHE-89
因みに、LAFAYETTEでの型番の一例だが、
 HE-10 (9R-4J)
 HE-30 (9R-59)
 HE-80 (JR-60)
 HA-63 (JR-200)
 HA-350 (JR-300S)
 HE-74 (VFO-1)
 HE-89 (VFO-2) 右の画像

時が移り、1961年、トリオは北米進出の足掛かりとなる KENWOOD ELECTRONICS Inc. をアメリカ西海岸に設立した。
1963年、全半導体化したステレオレシーバー KT-10をKENWOODブランドで発売するに至り、OEMビジネスは順次縮小し、数年後には打ち切られた。

以後、国内は TRIO、海外では KENWOODのブランドを使い分けることになった。
1986年、社名を株式会社ケンウッドに変更するに伴い、新ロゴの KENWOODを統一ブランドとした。

余談だが、
未だに、LAFAYETTEをトリオの対米ブランドと思い込んでいる御仁が居られて、苦笑するばかりだ。

2016年8月6日土曜日

春日無線工業製の 6R-4Sの "S" は何を意味するのか?

春日無線工業(後のケンウッド)製の通信型受信機 6R-4Sだが、6 は真空管が六本、R は Receiver(受信機)、4 は四バンドと理解できるが、サフィックスの "S" は何を意味するのか?

TRIO Amateur Radio Receiver 6R-4S

この後に出た 9R-4は正しく、それで解釈できるし、それに続く後継機も 9R-59Dまで、何となくネーミングが理解できる。

その後、サフィックスに "S" が付く製品は、暫く途絶えていたが、9R-59DSで復活し、同時期の SSB受信機 JR-300Sも、この例に倣った。以後、TX-388Sや JR-500S、TX-20S/15S/10Sなどが続いた。

どうやら、SSB対応機には末尾に "S" を付けたらしいことがわかった。

では、 6R-4Sの場合は、どの様に解釈するのか?
当時のカタログの記述から読み取ると、セミキットで発売したとあるが、自作出来ない人や急ぐ人には完成品も用意するとあった。
このことから、SemiKit(セミキット)を意識して型番のサフィックスに "S" を付けたようだ。

最近のネット検索の結果では、製品に同梱された実体配線図には 6R-4Sとあり、回路図には 6R-4とありどっち付かずで、本当のことは分からないが、多くの画像で型番は 6R-4Sとシッカリ読み取れる。
今にして思えば、型番が 6R-4であれば、9R-4とのシリーズ化の意図は納得出来そうだ。

その後、6R-4Sは、その型番を以下の様に分類して受注したようだ。
 6R-4SA:球無しセミキッ 10,500円
 6R-4SB:完成品 17,550円
 6R-4SC:球無しオールキット 15,200円

A, B, C は社内呼称で、製品パネルには表示されないルールとしたようだ。
6R-4Sは、春日無線工業が手掛けた初の製品だけに、ルールが後追いしたのではないかと思われる。

蛇足だが、
その後、SSBの時代になり、その "S" は、製品ランクの区別に用いられる事になった。

2016年8月5日金曜日

9R-4/ 9R-42と同世代のトリオのオーディオ製品とは

通信型受信機 9R-4や 9R-42を立て続けに製品化していた春日無線工業(後のケンウッド)だが、時を同じくして、将来の経営の柱になる FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ事業に参入し始めた。
昭和30年代の前半のことで、具体的には、どの様な製品を世に出したのか?分からないでいたが、たまたま、古い資料を整理していて、当時のカタログの様なモノを見つけ出した。
以下だが、型番からして、若く、正しくトリオのオーディオの原点になった製品のようだ。

上から順に、
Model HF-1 可変帯域HiFiラジオチューナー 完成品 8,330円、球無しキット 5,460円
Model HF-2 HiFiラジオチューナー付プリアンプ 完成品 14,700円、球無しキット 8,600円
Model HF-3 13W 6V6pp メインアンプ 完成品 17,500円、球無し完成品 14,420円



上から順に、
Model HF-6P プリアンプチューナー 完成品 15,400円
Model HF-8PM トライアンプ 完成品 29,800円
5M-2 2バンドホームラジオ 価格不詳



他にも以下の型番の製品があるのを確認したが、立て続けに商品化を進めていたことが窺い知れる。

Model HF-5 プリアンプチューナー
Model HF-6 HiFiアンプ
Model HF-7 HiFiアンプ

これまでのアマチュア無線用の通信型受信機の開発スピードに比べ、一気に、これだけのオーディオ製品を商品化していることは、今にして思えば驚きだ。

蛇足だが、
型番のプリフィックス、HF は High Fidelity(高忠実度、高再現性)を意味してのことかも知れない。

追記
ヤフオクで、HF-1を見つけ削除される前にダウンロードさせて貰った。
外観は痛みが激しかったが、画像処理アプリ Adobeの Photoshopを用い、私なりにレタッチして本体だけをクロップした。
ツマミがカタログとは異なるが、本来の姿を窺い知れる状態に安堵した。これが、トリオが世に出した最初のオーディオ製品なのだろう。
TRIO AM Tuner  Model HF-1 

2016年8月4日木曜日

トリオの並四や高一の初版日付に意義あり

トリオのコイルに同梱されるデータシート、いわゆる製品の説明書の日付が実体を表しておらず、その多くが、1950年代半ば、春日無線工業時代の初版日付になっている。
しかし、結論から先に言えば、現存する多くが、トリオ株式会社時代の改訂版なのだ。

以下は、私物の「並四」と「高一」の説明書を重ねてスキャンした。いずれも、説明書の右上の部分だ。


「高一」の部分を見ると、
1954年9月2日初版発行、その下へ「トリオ株式会社」「トリオ商事株式会社」と並ぶ。
「並四」は 1957年1月10日初版発行とある。

一番上、英文社名の「TRIO CORPORATION」がスミ帯に、抜き文字でシッカリと見える。
つまり、この説明書を同梱した製品は少なくとも トリオ株式会社へ社名変更した1960年以降の出荷であることが分かる。

どうして、そんなことになったのか?
恐らく、紙面のスペースが足りず、改訂日付を意図的に?省き、改訂が有っても改訂日付を残すことがなかった。
それにより、実体は改訂版だが、初版日付だけが最後まで独り歩きしてしまったようだ。

1960年、春日無線工業株式会社からトリオ株式会社への社名変更でも、説明書の社名部分の差し替えだけでお茶を濁してしまった。

それ故、現存する多くの説明書は、日付だけは春日無線工業株式会社の時代で、現実は、トリオ株式会社時代の改訂版が殆どだ。
この手の蒐集家とっては、「初版」などとあると、内心ではニンマリだが事実は丸で違う。

一番上に、「TRIO」ロゴと英文社名の「TRIO CORPORATION」がキッチリと表示されているので、目敏い人は、直ぐに、その辺の事情を察するはずだ。

蛇足ながら、
私物の並四は 1957年、高一は 1954年が初版日付だ。
しかし、これらは、創業して間も無く市場に出ているはずだから、それより前の日付の物があって良さそうだが、いま以て確認出来ていないのが不思議と言えば不思議だ。

2016年8月3日水曜日

トリオ製のテレビジョン受像機

これは、昭和30年前後、東京都大田区雪ヶ谷町に在った、春日無線工業東京研究所(後のケンウッド)の時代に発行していた、トリオラジオクラブの季刊誌「TRIO RADIO CLUB」の第12号だ。

年会費 100円で会員を募り、ラジオや電蓄、アンプなどの製作記事、アマチュア無線の解説、 短波放送の受信のための記事、サービス情報、質疑応答、会員の便りなどを一冊にまとめ、年四回、会員宛てに郵送していた。主筆は、春日二郎であり、その他、数名の技術者が執筆していたようだ。


この第12号は、1956年(昭和31年)3月発行で、目次には、
シャックめぐり、
メインアンプ HF-3について、
サービスメモ、
Hi-Fiラジオの製作、
読者のページ、
オシロスコープの扱い方、
インターバルシグナル、とあり、いずれも、広義でのラジオ少年向けに違いない。

今回、これを取り上げたのは、表紙にテレビジョン受像機「14T15」の写真が付いていることだ。

日本でのテレビ放送は、既に三年前に本放送が始まっていたが、トリオがテレビジョン受像機を独自に研究開発していたことを、これで初めて知った。

今から六十年も前、アマチュア無線用の通信型受信機 9R-4とか 9R-42が世に出た時代と重なる。それから五年くらい後に、我が家にも、やっと来た 14型ブラウン管式のテレビに似ていて暫く見入ってしまった。

同じ時期に、同業の富士製作所(スター)もテレビジョン受像機のキットを販売することで準備していて、そのカタログも探せばある?だろう。
大手の家電メーカーは、こぞってテレビ市場へ参入していた時期だったが、中小メーカーは、そんな流れに翻弄され、淘汰されていった。

結果的に、トリオのテレビ市場への参入はお蔵入りになり、忘れ去れてしまった。やはり、オーディオ専業メーカーとして、生きる道を選択したものと思われる。

余談だが、トリオのテレビ受像機は1955年の発売で、国産初のテレビはシャープ製で1953年発売されたらしく出遅れ感は否めない。

2016年8月2日火曜日

春日無線のアマチュア無線用送信機の第一号は?

トリオ(後のケンウッド)のアマチュア無線用の送信機で、最初に製品化されたモデルを知っている人は、恐らく少ないと思う。9R-59と TX-88Aを使っていた世代でも、今となっては、その前身の「TX-88」と記憶しているかも知れない。

A4版8ページのデーターシート
戦後再開されたアマチュア無線の黎明期に出て来たため、出荷台数も少なく、記憶に残らなかった?春日無線の第一号のアマチュア無線用の送信機は、文字通り 「TX-1」である。

手元の資料から、アマチュア無線用受信機 9R-4より半年くらい遅れて、1954年(昭和29年)後半か翌年に発売されたようだ。

まずは、セミキットで出荷された。
当時は、自作が当たり前の時代だったから、何の抵抗もなく市場から受け入れられたらしい。
主要部品がパネルやシャーシーに取付済みで、後は手元のパーツや足りない部品は秋葉原で買い求めて完成させた訳だ。

ただし、このセミキットは、無線電信用送信機の部分だけ。
無線電話用には別に変調機を自作することになる。しかも、電源も自作する必要があった。
セミキット以外の部分も半端で無く、完成までには大変な努力を要し、敷居の高かった製品でもある。

私自身も、それがどんな物なのか?現物を見たくて居たが、たまたま、遠方に住む友人との話の中で、彼のローカルに持っている人が居ることが判明した。
オーナーは、かなり先輩の方で、往時、セミキットから周辺装置まで自作した完成品を保管していることが分かった。

以下は、メール添付で送って頂いた画像だが、プライベートの部分の映り込みもあり、画像処理アプリ Adobeの Photoshopを用い、私なりにレタッチして本体だけをクロップしてある。

セミキットの部分は、上段、大きなダイヤルが二つある部分で、その上下の部分は自身が自作して、システムとして完成させている。
推定だが、このシステム一式の幅は 450mm、高さは 900mm、重量は不詳。

因みに、このセミキットは、球無しで 16,700円(大卒の初任給に相当)と価格表にある。

上段がアンテナ整合機、その下が TX-1部分、更に下が変調機/電源、一番下が主電源

回路構成は、6BA6(VFO)/6AR5(Xtal) - 6AR5(BUFF) - 807(FINAL)
送信周波数:3.5Mc & 7Mc。 出力;10 - 20W。 発振:VFO or Xtal。
変調:P & SG同時変調

トリオ、なぜ 9R-4J/42Jは誕生したのか?

戦後五年を経過して、1950年(昭和25年)に電波法が施行され、翌年からアマチュア無線技士の国家試験が開始、更に翌年、アマチュア無線局の免許申請も受付が始まった。

それを待っていたかのように、1952年、春日無線(後のケンウッド)は五球スーパーに BFOと ANLの回路を付加した受信機 6R-4Sを発売した。(BFOと ANLが無ければタダのラジオだが) 外観も含め、一応、通信型受信機と呼べる物だった。


見た目は、アメリカの通信機メーカー Hallicrafters社の S-38と言う通信型受信機にソックリ、今風に言えば、パクリその物だった。
戦後間もない頃で、アメリカの事情には疎く、並四や高一ラジオに見飽きていた人々には、斬新ささえ感じたようだ。

この 6R-4Sから二年が経った1954年に、トリオの通信型受信機の礎となる 9R-4が発売になった。と、同時にアマチュア無線用に特化した 9R-42もラインナップされた。
高周波一段中間周波二段、いわゆる「高一中二」と呼ばれ、この当時の通信型受信機の完成型と言っても過言では無い。

それから四年が経った1958年、
型番の末尾に "J" を付け足した 9R-4Jと 9R-42Jが登場した。
フロントパネルを見ると直ぐに気付くが、CW/SSB受信用にBFOのピッチコントロールのツマミが新たに追加された。それ以外に電源部も見直された。
では何故 "J"なのか、いま以て分からないでいたが、ネット検索での結果、アマチュア無線雑誌 CQ ham radio(1959年4月号)で、設計に携わった横山耕三(JA1SR)が執筆したトリオ9R-4J紹介の記事(9R4と9R4Jはどうちがうのか)に、”J”はJuniorに通じるとあり、これが型番の末尾の”J”の由縁と理解した。

外観を見比べるとよく似ているが、内部を覗いて誰もが納得した。

9R-4 と9R-42の真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6SK7(IF) - 6SK7(IF) - 6SQ7(AF) - 6V6(PA)
6BE6(OSC), 6SN7(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

アンダーラインはGT管、その他はMT管

9R-4Jと 9R-42Jの真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6BD6(IF) - 6BD6(IF) - 6AV6(AF) - 6AR5(PA)
6BE6(OSC), 6AV6(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

何が変わったのか?
9R-4 と9R-42に採用された真空管は、MT管と GT管の混在だった。
それが、9R-4Jと 9R-42Jでは一目瞭然、整流管の 5Y3を除き、残り全てが MT管に入れ替わっていた。

では、何故に、MT管と GT管の混在だったのか?
往時、その事情に通じた人から聞いた話だが、MT管の調達コストが高かった為だと言う。

その後、五球スーパーが一般家庭に普及しはじめ、MT管の価格も大量生産で下がり始めた。

それと時期を同じくして、春日無線は、将来の経営の柱となる、FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ市場へ参入した。

当然、MT管の調達数は、アマチュア無線機の必要数よりゼロが一桁多く、必然的に調達コストは大幅に安くなった。
そうなれば、GT管を使うコストメリットは全く無しとの判断に至り、5Y3以外は、MT管へ総取っ替えになった。真空管の良いところは、同等管との差し替えであれば、回路定数の変更も殆ど必要無く、置き換えられることだ。

言ってみれば、このモデルチェンジ、
ただただ、メーカーのご都合によるもので、ユーザーは惑わされただけかもしれない?

蛇足ながら、
それから二年後、更に 9R-59へモデルチェンジしたが、6BD6を 6BA6に、6AR5を 6AQ5に差し替えた以外、真空管のラインアップは、そのまま踏襲された。
最後まで居残った GT管の 5Y3は、9R-59Dで、やっと半導体に置き換えられ、お役御免になった。

2016年7月31日日曜日

トリオに漁業用受信機が有った

古いトリオの総合カタログに、見知らぬ 漁業用受信機「F-62」が載っているのに気付いた。
以下は、そのページの部分的コピーだ。


何故に「F-62」なのか?それまでのトリオの型番の体系では推しがたい。アマチュア無線用の 9R-4より少し後に、漁業用受信機として製造販売したらしい。

それも、陸から近い沿岸漁業の漁船向けだ。
それ故、短波放送で知られる九メガ台とか、それ以上の周波数では電波がスキップしまい、近距離の通信に適さない。それで、中短波の四メガ以下とか八メガ以下の漁業バンド用の受信に適した仕様にした。

高周波一段中間周波二段、AF二段の構成で、中波と短波(3.5-10Mc)の二バンドと立派だ。
GT管が六本。電源は 24Vの DC専用で、ロータリーコンバーターかバイブレータを用いた船舶用ならではの仕様である。大揺れする船内に取り付けるため、通常の脚ではなく、アングルのような脚で船体の一部に直付けした。

受信機は、それぞれの漁船に付けられ、送信機は船団の一、二隻にのみ付けていたようだ。
勿論、送信機の操作には無線従事者の免許資格が必要だ。

通常は、漁業基地の固定局、つまり海岸局との交信を行う。
他の船は、その交信を傍受し、航路のこと、漁場のこと、気象のことなど、航海に必要な情報を得ることができたようだ。

因みに、この F-62は 38,500円、6R-4Sは 17,550円、 9R-4は 32,000円とカタログにある。
この漁業用受信機に付いて後継が無く、恐らく 6R-4Sや 9R-4へ引き継がれたようだ。

トリオ、今でも実用になる鉱石ラジオ

このイラストに記憶のある方々は、かって、紛れもなく、ラジオ少年だった証しだ。
昔の資料を整理して居る最中に出て来たトリオのコイルの説明書、「並四」の裏表紙に、このイラストはある。


春日無線(トリオ)の並四コイルに、片岡電気(アルプス)のバリコン B-15、狐崎電機(FOXTON)の鉱石検波器と揃えば、このラジオが難無く完成した訳だ。

今では、入手が難しい?鉱石検波器をゲルマニュームダイオードに置き換えれば、このまま AMの放送を聴けるのが凄い。

何十年も前の事が、いまこの場で、全く同じに再現できてしまうなんて、そうザラには無い。

しかも、電池が不要で、思いのほか実用的だが、これで、小一時間も真剣に放送を聴こう何て気分には到底ならない。

今どき「鉱石ラジオ」なんて言われても、若い世代にはチンプンカンプンだろう。
それこそ、二十世紀の遺物?に等しいが、現世に於いては、省エネの見本その物だから、ひとつぐらいは手元に有って良いかも知れない。

2016年7月30日土曜日

春日無線工業の「TRIO」ロゴだが、

ケンウッドの、その昔のロゴを知っている人は多いと思う。
それは、多くの場合、トリオ株式会社時代の Times系のロゴ、「TRIO」だと思う。
それ以前の春日無線工業株式会社時代のロゴも、おなじ TRIO だが、形が丸で違う。

今ではお目に掛かる事も無いが、9R-59や TX-88Aより前の製品が掲載されているカタログでは、この時代のロゴを付けた製品が見られるだろう。
具体的には、以下の様なモノだ。


ハッキリ言って、ダサい。
ロゴと言うことで、デザイン的に独自性を出したくて、こんな横棒?を付けたのかも知れないが、センスの無さを露呈している?

今さらに確認してみると、9R-59の初版のカタログの写真では旧TRIOロゴが付いた製品で撮られているし、製品添付の取扱説明書の表紙も旧TRIOロゴだ。

9R-59は、春日無線工業株式会社からトリオ株式会社へ社名変更する時期に重なって出て来たので、この様になっているが、暫時、修正されていったようだ。

インターネットで、この 9R-59の画像検索をすると、旧TRIOロゴの製品画像が予想外に多くヒットして、今さらに驚いた。
それ故、9R-59は、旧TRIOロゴを付けた物が、かなり生産されたのではないか?と推測する。なお、相方の TX-88Aは、少し遅れて出て来たので、最初から新TRIOロゴであり、混乱は無かったようだ。

JVCケンウッドに社名変更しても、KENWOODロゴは引き続き使用されている。

なお、英文表記の社名は以下の様なものが使われている。

有限会社春日無線電機商会/春日無線工業株式会社
KASUGA MUSEN KOGYO CO., LTD
KASUGA RADIO CO., LTD


トリオ株式会社
TRIO CORPORATION
TRIO RADIO CO., LTD
TRIO ELECTRONICS INC
TRIO KENWOOD CORPORATION

株式会社ケンウッド
KENWOOD CORPORATION

2016年7月29日金曜日

7月29日は「アマチュア無線の日」だ

1941年(昭和16年)、太平洋戦争の勃発と共に閉局を余儀なくされた日本のアマチュア無線局だが、終戦後七年を経た、1952年(昭和27年)に、その運用再開が認められた。
(64年前の)同年7月29日、全国の30局に予備免許が発給され、戦後の日本に於いて、アマチュア無線が正式に再開された。

1973年、日本アマチュア無線連盟(JARL)は、この日を「アマチュア無線の日」として制定したが、格別に行事などは無い。

6R-4Sの取扱説明書の表紙の一部分

また、春日無線工業(後のKENWOOD)は、この時期に合わせるように、トリオ初の通信型受信機 6R-4Sをセミキットとして発売した。これが、後のトリオのアマチュア無線事業の確固たる礎を築いた最初の製品として特記される。

2016年7月28日木曜日

トリオのアマチュア無線機の出荷形態だが、

トリオのアマチュア無線機は、電話級・電信級アマチュア無線技士が誕生した1959年(昭和34年)頃を境に出荷が急増した。
当時は、キット・ビジネスが盛んになった時代でもあり、アマチュア無線機も例外なく、完成品とキット製品の両方が出荷された。

B があり完成品だ
トリオの場合、元箱は一貫して同じモノが使われた。
それ故、製品を段ボールケースへ収めてしまうと、完成品だかキット製品だか分からなくなってしまう。

社内は勿論のこと、販売店に至る迄、その区別を容易にする必要に迫られた。そこで出荷時に、一時期、段ボールケースの側面に、完成品には "B"、キット製品には "C"をゴム印で押印することになったと聞く。

それは、当時のカタログからも読み取れる。
引用すれば、以下の様だが、

9R-59 A セミキット(主要部品は全て取付済み。球無し、配線無し、CRや小物パーツ無し)
9R-59 B 完成品
9R-59 C 球無し、オールキット
9R-59 T 球付き、オールキット
9R-59 Y 球無し、配線済みキット

蛇足だが、「球無し」とは、全ての真空管を別途各自が買い揃えることの意味だ。
しかし、A, B, C以外は、実在したのか?記憶に無い。

スキルのあるラジオ少年の多かった時代だから、パーツも手持ちの物や秋葉原で買い揃える "A" が最初の頃は多かったようだ。勿論、主流は完成品の "B" だ。

アマチュア無線人口が増え始めると、"A" に代わり、オールキットの "C" が飛躍的に伸びた。全てのパーツが同梱され、大判の実体配線図も添付され、敷居が低くなったからだろう。

当時は、中古真空管のビジネスも盛んで、当然、新品より安く買えるので、球無しキットが持て囃された。極め付けは、球無し、配線済みキットで、動作しないから、ラジオとは認定されず、物品税が安かったのかも知れない?

今にして思えば、時代に即したビジネスモデルだったに違いない。

2016年7月27日水曜日

トリオの A1/A3時代の無線機だが、

これは、だいぶ前に親元で、虫干しを兼ねて押し入れを整理した時に撮っている。
デジカメのデータで確認すると、十年前の日付に我ながら驚いた。
それから今日までに、どの様に変わり果てたか?計り知れないが、来週には結論が出そうだ。
いずれも、トリオの半世紀も前のアマチュア無線機だ。


ここには写っていない、MW/SW通信型受信機(9R-59)と HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)を取りに行くことにしている。
9R-59
TX-88A
恐らく、元箱が無くて、ここに写っていないように思うが、お邪魔虫であることは確かだ。自分にとってはお宝?だが、身内の目ですら、厄介者で、タダのガラクタに過ぎないのだから・・・。

トリオの 9R-59キットのパーツ

下の二つは、トリオの半世紀も前の製品、MW/SW通信型受信機(9R-59)のキットに添付されたパーツ、 「9R-59 ''C'' KIT」と「9R-59 ''R'' KIT」だ。

台紙は、ほぼ A5サイズ

9R-59は完成品もあったが多くがキットだった。
キットは球無し、つまり、真空管は全て自分で買い揃える必要があった。主要パーツは既に取付済み、小物パーツと抵抗やコンデンサーと言った電子パーツは、台紙にズラリと取り付けてあった。

回路図を参照し、実体配線図を頼りに、この台紙からパーツを取り外し、所定の箇所へ取り付けて半田付けして行く訳だ。この作業に並行して、リード線を必要な長さにカットして、指定の箇所へ両端それぞれを絡げて半田付けする作業もある。
この台紙から全てのパーツが無くなれば、抵抗やコンデンサーの配線が終わったことを意味する。

全ての作業が終わったら、最終確認をして、真空管をソケットに差し込み、スイッチONとなる。実体配線図などがあるにしても、ずぶの素人には、キットとはいえ、やはり敷居は高い。

しかし、アマチュア無線を志す者、それ位のことは承知のはず。いわゆる、スキルのあるラジオ少年達が活躍の場を得ていたように思うし、その様な時代でもあった。

9R-59

2016年7月26日火曜日

トリオの 9R-59とTX-88Aの「ツマミ」

トリオの半世紀も前の製品だが、 MW/SW通信型受信機(9R-59)と HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)は、ある時から全ての「ツマミ」が変更されている。
今では、それに気付くことが無いかも知れないが、デザイン的には、かなり印象が違うように思う。

9R-59と TX-88Aが発売になって暫くは、黒色のツマミの前面にアルミ材のリングが付いていた。それが、いつの間にか?止めになり、同じアルミ材のディスク(円盤)がはめ込まれるようになった。

左が 6R-4S, 9R-4/42, ,9R-4J/42J & 9R-59/TX-88A前期、中央が後期、右が JR-60 & 9R-59D/TX-88D


リングとディスクとでは、アルミ材のピカピカ具合がかなり異なる。
因みに、リング付きのツマミは、6R-4Sから 9R-42Jまで使われていたモノと同じだ。それ故、引き続き 9R-59と TX-88Aで使われても不思議では無い。

カタログでも、CC-6を含め、リング付きのツマミが使われているのが分かる。
リング付きのツマミが分かる

しかし、ある時期から変更になったが、両方とも市販品らしく、秋葉原でも入手できた。

変更になった理由は、今となっては定かで無いが、製造元がサイズは同じだが、外観的に仕様変更したのではないかと推測する。

その後、トリオはこれに代わるツマミとして、純正のツバ付きタイプを量産化し、JR-60を始め 9R-59D、TX-88D などに採用した。

自分としては、リング付きのツマミの方が格好良い様に思うが、人それぞれかも知れない。


2016年7月25日月曜日

トリオの受信機 9R-59のパネル

1960年代半ば、訳あってトリオの受信機 9R-59を三台持っていた。
現在、そのうちの一台は親元に置きっ放し、二台目は遠い昔に親しい人へ譲った。三台目は色々な実験で手を加えた為、最後にはバラバラになり、今はパネルだけが残った。

チリメン塗装で、灰色と言うか?ライトグレーの様に見えるパネルで、どちらかと言えば地味っぽい。筐体も底板も同じチリメン塗装で一体感があった。

パネルだけは、開局当時を思い起こされる品であり、いつも手の届くところにある。
材質は、裏を返せば直ぐに分かるが、アルミの素地が今でもピカピカと光を反射している。

Siica Cardとのツーショット、9R-59のフロントパネル
表側だけチリメン塗装だ。
ちょっとザラザラしていて手触りは良くないが、汚れは目立たない。

しかし、何十年も手付かずでは、流石に往時の汚れが変色して目立つ様になった。
まず、水に潜らせ、使い古しの歯ブラシに食器用洗剤を付けて、軽くブラッシングしてみた。
予想以上に汚れが落ち、程々のところで水洗いした。

文字も、スッキリ、クッキリして、リーダビリティーも良くなった、正に59だ。

ところで、この文字だが、チリメン塗装をしてから、その塗装部分を文字の形に掻き取ることで、アルミの素地が露出しキラキラ文字として現れている。
だから、水洗いしても平気なのだ。

昔のことで推測だが、パネルの文字、いわゆるフォントは、Helvetica系の一書体しか無かったらしく、TRIOロゴの部分は苦労した形跡が見て取れる。

9R-59を買った時は、そんなことに気づきもしなかったが、いま思うに、往時では、それが精一杯の加工技術だったのかもしれない。

なお、パネルと同様に、筐体も底板も同じチリメン塗装だから水洗い出来るかもしれないが、こちらは鉄材だから、錆など防蝕には配慮が必要だ。

最後に、パネルも含め水洗いは自己責任であることをご承知頂きたいものだ。

トリオ、ビッグな TX-88Aの実体配線図

トリオの半世紀も前の製品、HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)に添付された実体配線図だ。完成品は無く、キットのみ発売された。

主要パーツは出荷時に取付済みになっていて、主にCRやリード線の配線作業を必要とする。
スキルがあれば、回路図だけで作業できるが、実体配線図は、完成品からその実体を写し取ってイラスト化し、その通りに作業すれば間違いなく完成出来ることになる。

印刷物としてのサイズは、横80cm、縱50cmと、かなりの大判で、比較の為にSucia Cardを置いて撮ってみた。

実体配線図(ャーシー内部のイラスト)
実体配線図(シャーシー上部のイラスト)

リード線の配線順序やCRの取付順序が表組みされていて、その一つ一つを確実に作業することになる。
工具として、リードベンチやニッパー、ドライバー、半田ごても必要。

不慣れな者には面倒な作業だが、その努力が完成度に影響するので、間違いない作業が要求され、動作した時の満足感は一入(ひとしお)だった。

トリオの 9R-59と TX-88Aのカタログ

トリオの半世紀も前の製品だが、 MW/SW通信型受信機(9R-59)と HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)のカタログを持っている。B5版の三つ折りで、当時は、どこのハムショップへ行っても置いてあり、ライトグリーンが印象的だった。

カタログ外側
カタログ内側

9R-59と TX-88Aのカタログだが、専用スピーカー SP-5と 50Mcクリスタルコンバーター CC-6も掲載され、それぞれの回路図まであった。

このカタログだけで、無線局に必要な機器は一通り掲載されている。つまり、これ一式さえあれば、憧れのシャックが完成するかと思うと、ワクワク感が一杯の時代だった。


2016年7月24日日曜日

トリオの 9R-59と TX-88Aの取扱説明書

トリオの MW/SW通信型受信機(9R-59)と HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)の取扱説明書が手元に有る。いずれも半世紀も前の印刷物ゆえに、汚れやシミ、紙質の劣化もあり、ページを繰るのも慎重にならざるを得ない。
9R-59とTX-88Aの取扱説明書

表紙に注目すると、社名ロゴの「TRIO」の形が異なることが分かる。

「9R-59」の TRIO は T と R のフォントにそれぞれ長い横線が付いているのが特徴的だ。
このロゴは春日無線工業時代に使われていたモノだ。

「TX-88A」の TRIO は、times系のフォントに似ていて、トリオ(株)に社名変更した1960年から使われ、1986年(30年前)、(株)ケンウッドへ社名変更に伴い廃止になっている。

つまり、「9R-59」は、春日無線工業時代の最後に製品化されている。
「9R-59」と「TX-88A」は、ほぼ同時期に製品化されていて、「TX-88A」は少し後、トリオ時代初の製品として扱われたようだ。

両方ともペラペラの説明書で、記述内容が通り一遍だったにも拘わらず、よくもこれでアマチュア無線が始められたものだと驚くばかり。
たぶん、多くがスキルの有るラジオ少年達だったから、説明不足も何のその、それぞれの知識が補い合って、アマチュア無線を楽しんでいたのだと推測される。
恐るべし、ラジオ少年達!

2016年7月23日土曜日

トリオの受信機 9R-59の系譜

戦後の七年を経て、1952年、五級スーパーに BFO/ANLを付加しただけだが、俗に言うオールウエーブ・ラジオとは一線を画すラジオが世に出た。

トリオが発売した通信型受信機 6R-4Sである。
受信周波数は、中波から短波までカバーし、戦時中は聴取が禁じられていた、海外からの短波放送の受信には持って来いの受信機だった。

それは、知る人ぞ知るだが、アメリカの同種のラジオ S-38とソックリ、正にパクリそのもの。それまで家庭にあるラジオと言えば、並四とか高一とかのオートダイン式で、安価だが性能もソコソコで、通信型受信機 6R-4Sのスーパーへテロダイン式は画期的だった。
それに直ぐに飛びついたのが、戦前からの短波受信の愛好者と漁業無線局、それとアマチュア無線局だった。

トリオの 6R-4Sは、その後、次々とモデルチェンジを繰り返し、その都度、販売数を伸ばしていった。

以下がその系譜だが、
1952年 6R-4S (受信周波数;0.55-1.6Mc, 1.6-4.8Mc, 4.8-14.5Mc, 10-30Mc)
1954年 9R-4  (受信周波数;0.55-1.6Mc, 1.6-4.8Mc, 4.8-14.5Mc, 11-30Mc)
1954年 9R-42 (受信周波数;0.55-1.6Mc, 3.5-7.5Mc, 7.0-15Mc, 14-30Mc)
1958年 9R-4J (受信周波数;0.55-1.6Mc, 1.6-4.8Mc, 4.8-14.5Mc, 11-30Mc)
1958年 9R-42J (受信周波数;0.55-1.6Mc, 3.5-7.5Mc, 7.0-15Mc, 14-30Mc)

基本的には 9R-42Jまで、以下の様に扇型のダイヤル窓が左右対称的に付いたデザインだった。

9Rシリーズの基本デザイン

しかし、1960年のモデルチェンジでは、そのデザインを一新した 9R-59が登場した。
フロントパネルの半分を占めるような横行ダイヤルが採用になり、周波数帶は 9R-4に先祖返りした。しかも、周波数微調のサブダイヤルも周波数直読になり、メインとサブのツマミが右側に揃い、使い勝手も非常に良くなった。

9R-59
完成品 33,000円、球無しキット 18,500円であったが、当時のアマチュア無線局に於ける必須の無線設備となり、トリオのアマチュア無線事業の確固たる礎を築いた製品となった。

その後、以下の様なモデルチェンジもあったが、時はSSB時代に入り、既に時代遅れの製品となってしまった。

1966年 9R-59D (受信周波数;0.53kHz-1.6MHz, 1.6MHz-4.8MHz, 4.8-14.5MHz, 10.5-30MHz)
1969年 9R-59DS (受信周波数;0.53kHz-1.6MHz, 1.6MHz-4.8MHz, 4.8-14.5MHz, 10.5-30MHz)


2016年6月5日日曜日

「SONY DESIGN」、途轍も無く大きく重い写真集だ?

この「SONY DESIGN」、サブタイトルに「MAKING MODERN」とある。
近所の書店では扱いが無く、丸善丸の内本店で購入。オリジナルは英語版なので、この店へ行ったが、店内在庫で日本語版も有りと言われてソレにした。ベースが写真集なので和文でも違和感は無い。
コンテンツは、1946年の創業当初から今日に至るまでの、選りすぐりのデザインだと感じさせるソニー製品のオンパレードだ。

ページを繰るごとに、その当時が思い起こされる。持っていたモノ、買いたかったモノ、カタログを返す返す眺めるだけ、その格好良さに惚れ込んだモノなどが鮮明にプレイバックされる。

自分とこのソニー製品との出会いは、半世紀以上も前、トランジスタ(2T54)とトランジスタラジオに始まる。
正にそれはソニーの前身だった東京通信工業(略して東通工)の時代だ。

同じラジオでも他社とはどこと無く違うそのデザイン。
つまり、その格好良さが他社を圧倒し、次々と世に出るソニー製品は、創造的で画期的なデザインで在り、ソニーファンを魅了し続けた。

つまり、この「SONY DESIGN」は、ソニーの歴史に残る名機の数々を凝縮した写真集であり、ソニーファンなら必見いや必携の一冊だ。

下はWALKMANなどのページだが、見開きで40cm以上、迫力があり見応えもある。
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下は知る人ぞ知るFM/MW/SW 5BandレシーバーのスカイセンサーICF-5900だ。
画像をClickすると拡大
難を言えば、片手で持つには大きく重いA4変形サイズで約3cm厚、価格は1TBのハードディスクドライブとほぼ同額だ。

2016年3月19日土曜日

新鮮さが全く感じられない「なつかしBCL大全」

秋葉原へ出掛けたついでに立ち寄った書店で、この「なつかしBCL大全」に気付いた。
過去に「BCL」に凝った時代があったが、ソニーの ICF-2001を最後に、このジャンルから遠ざかり、今は同じソニーの ICF-SW7600GRが座右にあるが、ラジオ代わりで出番は無い。
BCL、いわゆる短波放送の受信だが、主に海外から日本向けに送信される日本語放送プログラムを受信しようとする趣味である。
そのブームは、1980年頃をピークに前後五年ほどであったが、ソニーと松下の二大家電メーカーが凌ぎを削り、短波放送受信用としては、かって無いほど素晴らしい性能のラジオが幾つも世に出た。

このブームに熱狂した往時の若者達も、既に還暦を過ぎ、「BCL」の文字に往時を懐かしく思い出すかも知れない。
しかし、現在のインターネットをはじめとする情報化社会に於いて、短波放送局は次々と閉局し、このBCLブームの再来は無いと言って過言では無いだろう。

「なつかしBCL大全」も、そんな世代を対象に出版されたのであろうが、版元を知る者には、「またか・・」の言葉が口を突いて出そうになる。
つまり、「なつかしBCL大全」は、これまでの「BCL」をタイトルとした企画本の使い回しで、それも一回や二回では無いことがパラパラとページを繰っただけで分かる。今回は、山田耕嗣コレクションのCDが付いていたが、今さら格別に嬉しくも無い。

三十数年前のブームの時の事を、繰り返し回顧して居るだけで、内容的には、省く事が有っても、付け足す事は既に無い。

過去を辿れば、2007年に発刊の「BCLラジオカタログ」は秀逸、2012年の「BCLラジオカタログ完全保存版」も同様に見栄えが良い。ジャンルは違うが、2012年発刊の「アマチュア無線機コレクションFT-101の時代」も出来映えがなかなか素晴らしい。

今回の「なつかしBCL大全」は、既刊の「BCLラジオカタログ」や「BCLラジオカタログ完全保存版」などのパクリと言うか?正にデッドコピー的で、目新しい事は無い。

これらの三冊はA4サイズだが、「なつかしBCL大全」はB5と小振りの版面になり、フルカラーにしては色鮮やかさに欠け、特に表紙は製版ミスか?最悪だ。これまでが素晴らしかった事もあり、チープさだけが際だって感じられる。

この手のモノは、直ぐコレクションに仕勝ちだが、既刊を持っていれば、書店での立ち読みで十分、敢えて買う必要も無いだろう。

2016年3月15日火曜日

リニアアンプ TL-933 の修理対応終了の告知

3月15日付けの「My-Kenwood」 製品オーナーズメルマガで、
「リニアアンプ TL-933の修理対応終了について」の告知がなされた。

詳細は以下、

お客様各位
日頃より、弊社製品をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。
弊社が2001年8月から2008年6月まで販売しておりましたHF/50MHz 1kW リニアアンプ TL-933 は、販売終了後長期間が経過していることから保守部品の調達・修理が困難な状況となってまいりました。
つきましては、2017年12月15日をもちましてTL-933 の修理受付(調整・点検等も含む)を終了させていただきます。
なお、部品の在庫状況等によっては期日以前に対応を終了させていただく場合もございますのであらかじめご了承ください。
皆様のご愛顧に対し改めて厚く御礼申し上げますとともに、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

JVCケンウッドカスタマーサポートセンター

2016年1月28日木曜日

八木秀次、生誕130周年

1月28日、Googleのトップページのバナーが、屋上で「八木アンテナ」のビーム方向を調整しているアニメーションになっている。


八木秀次は、宇田新太郎と共に開発した「八木・宇田アンテナ」の共同発明者として知られている。後年、この発明を基に八木アンテナ株式会社を創業し、その初代社長に就いた。

この「八木アンテナ」だが、通信分野では勿論だが、民生用としてアナログテレビ時代には、テレビ電波を受信するに不可欠のツールとして全世界的に普及した。

日本では、アナログテレビ放送の終了によりVHF用の「八木アンテナ」は不要になったが、UHF用は地デジ放送の受信に、未だ未だ現役でお世話になっている。

2016年1月17日日曜日

「模型とラジオ」、神田神保町の古書店で見掛けたが、

神田神保町へ出掛けた折り、昨秋に閉店を予告していた古書を扱う篠村書店へ立ち寄った。
未だ商いをしていて、靖国通りに面した店の入り口には「全品3割引き」と書かれた紙が張られていた。

奥に座る店主によると、遂に今月末で店を閉じると言う。すでに仕入れを止め、書架に空きが目立ち、在庫は二、三割のスペースまでになっていた。

かっては、書棚に、「鉄道ピクトリアル」、「鉄道模型趣味」、「鉄道ファン」などの雑誌や、70年代や80年代の国鉄時代の時刻表が並び、鉄道人気に合わせた、鉄道関連の古書が多かったようだ。
他に、年代物の飛行機や自動車関連の図書も僅かながら残っていたが、そんな中に「模型とラジオ」を見つけた。

模型とラジオ、左が1963年(昭和38年)3月号、右が1959年(昭和34年)1月号

月刊誌だっただけに、創刊号とか号数を意識しなければ、他の書店でも巡り会うことはあるが、ただただ懐かしさが優先して買ってしまった。

1959年(昭和34年)1月号と1963年(昭和38年)3月号の二冊だ。

特に、記事内容に引かれた訳では無いが、巻末に掲載の「科学教材社」の通販カタログが、何とも当時の読書には魅力的だった。
鉄道模型工作、模型飛行機、船舶工作、各種の模型工作、トランジスタラジオの作り方、真空管ラジオのキット、望遠鏡、ホビーカメラなどなど、見ているだけで子供心を擽るモノが満載で、見飽きることが無い。

また、広告も懐かしい。
トランジスタラジオのキットのミツミ、鉄道模型のカワイ、真空管のNECやロダン、アポロ、ゲルマの狐崎電機、望遠鏡のミザール、成東商会、 トランジスタラジオのファースト電機、TKKマブチモーターの東京科学、エレキットの光和、プラキットのトミーなど、多くを忘れていたが、既に半世紀を過ぎていて現存する会社は少ない。
活字も小さく、この歳のこの目には辛いモノがあるが、時間を掛けて往時を思い出しつつ読んでみたい。

余談だが、本誌と当時のライバル誌のプロフィールは以下のようだ。

模型とラジオ(略称は模ラ)
1955年(昭和30年)に創刊、科学教材社が発行した、子供向けの工作科学雑誌である。昭和期の子供たちに電子工作、模型工作を通して科学への関心を育んだ雑誌として知られる。
往時は、巻末には、「科学教材社」の広告が付いていて、これも見逃せない魅力ある?内容だった。
1984年(昭和59年)に廃刊した。

子供の科学(略称は子科)
1924年(大正13年)に創刊し、以来92年の歴史ある月刊誌である。
「子供の科学」は、誠文堂新光社による出版である。子供向け科学雑誌であり、戦前から科学を子供が平易に学べるように編集されている。
「模型とラジオ」と同様に科学教材社の広告が巻末に付いた。

初歩のラジオ(略称は初ラ)
1948年(昭和23年)に創刊。誠文堂新光社が発行した、エレクトロニクス専門入門誌である。同社の「子供の科学」と「無線と実験」の間を埋めようなレベルで、ラジオや電子工作の記事を主に掲載した。
1992年(平成4年)に休刊した。
「模型とラジオ」と同様に科学教材社の広告が巻末に付いた。
ライバル誌として、電波新聞社の「ラジオの製作」があった。

ラジオの製作(略称はラ製)
1954年(昭和29年)に創刊。電波新聞社が発行した月刊誌である。アマチュア無線、パソコン、オーディオ、BCL、エレクトロニクスの総合入門雑誌である。ライバル誌として誠文堂新光社の「初歩のラジオ」であった。1999年(平成11年)に休刊。

自分は、小学生時代は、「子供の科学」を定期購読していたが、中学へ進学してから、一足飛びにアマチュア無線の専門誌である「CQ ham radio」へ興味が移って、その後の成り行きを知らない。