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2016年8月3日水曜日

トリオ製のテレビジョン受像機

これは、昭和30年前後、東京都大田区雪ヶ谷町に在った、春日無線工業東京研究所(後のケンウッド)の時代に発行していた、トリオラジオクラブの季刊誌「TRIO RADIO CLUB」の第12号だ。

年会費 100円で会員を募り、ラジオや電蓄、アンプなどの製作記事、アマチュア無線の解説、 短波放送の受信のための記事、サービス情報、質疑応答、会員の便りなどを一冊にまとめ、年四回、会員宛てに郵送していた。主筆は、春日二郎であり、その他、数名の技術者が執筆していたようだ。


この第12号は、1956年(昭和31年)3月発行で、目次には、
シャックめぐり、
メインアンプ HF-3について、
サービスメモ、
Hi-Fiラジオの製作、
読者のページ、
オシロスコープの扱い方、
インターバルシグナル、とあり、いずれも、広義でのラジオ少年向けに違いない。

今回、これを取り上げたのは、表紙にテレビジョン受像機「14T15」の写真が付いていることだ。

日本でのテレビ放送は、既に三年前に本放送が始まっていたが、トリオがテレビジョン受像機を独自に研究開発していたことを、これで初めて知った。

今から六十年も前、アマチュア無線用の通信型受信機 9R-4とか 9R-42が世に出た時代と重なる。それから五年くらい後に、我が家にも、やっと来た 14型ブラウン管式のテレビに似ていて暫く見入ってしまった。

同じ時期に、同業の富士製作所(スター)もテレビジョン受像機のキットを販売することで準備していて、そのカタログも探せばある?だろう。
大手の家電メーカーは、こぞってテレビ市場へ参入していた時期だったが、中小メーカーは、そんな流れに翻弄され、淘汰されていった。

結果的に、トリオのテレビ市場への参入はお蔵入りになり、忘れ去れてしまった。やはり、オーディオ専業メーカーとして、生きる道を選択したものと思われる。

余談だが、トリオのテレビ受像機は1955年の発売で、国産初のテレビはシャープ製で1953年発売されたらしく出遅れ感は否めない。

2016年8月2日火曜日

春日無線のアマチュア無線用送信機の第一号は?

トリオ(後のケンウッド)のアマチュア無線用の送信機で、最初に製品化されたモデルを知っている人は、恐らく少ないと思う。9R-59と TX-88Aを使っていた世代でも、今となっては、その前身の「TX-88」と記憶しているかも知れない。

A4版8ページのデーターシート
戦後再開されたアマチュア無線の黎明期に出て来たため、出荷台数も少なく、記憶に残らなかった?春日無線の第一号のアマチュア無線用の送信機は、文字通り 「TX-1」である。

手元の資料から、アマチュア無線用受信機 9R-4より半年くらい遅れて、1954年(昭和29年)後半か翌年に発売されたようだ。

まずは、セミキットで出荷された。
当時は、自作が当たり前の時代だったから、何の抵抗もなく市場から受け入れられたらしい。
主要部品がパネルやシャーシーに取付済みで、後は手元のパーツや足りない部品は秋葉原で買い求めて完成させた訳だ。

ただし、このセミキットは、無線電信用送信機の部分だけ。
無線電話用には別に変調機を自作することになる。しかも、電源も自作する必要があった。
セミキット以外の部分も半端で無く、完成までには大変な努力を要し、敷居の高かった製品でもある。

私自身も、それがどんな物なのか?現物を見たくて居たが、たまたま、遠方に住む友人との話の中で、彼のローカルに持っている人が居ることが判明した。
オーナーは、かなり先輩の方で、往時、セミキットから周辺装置まで自作した完成品を保管していることが分かった。

以下は、メール添付で送って頂いた画像だが、プライベートの部分の映り込みもあり、画像処理アプリ Adobeの Photoshopを用い、私なりにレタッチして本体だけをクロップしてある。

セミキットの部分は、上段、大きなダイヤルが二つある部分で、その上下の部分は自身が自作して、システムとして完成させている。
推定だが、このシステム一式の幅は 450mm、高さは 900mm、重量は不詳。

因みに、このセミキットは、球無しで 16,700円(大卒の初任給に相当)と価格表にある。

上段がアンテナ整合機、その下が TX-1部分、更に下が変調機/電源、一番下が主電源

回路構成は、6BA6(VFO)/6AR5(Xtal) - 6AR5(BUFF) - 807(FINAL)
送信周波数:3.5Mc & 7Mc。 出力;10 - 20W。 発振:VFO or Xtal。
変調:P & SG同時変調

トリオ、なぜ 9R-4J/42Jは誕生したのか?

戦後五年を経過して、1950年(昭和25年)に電波法が施行され、翌年からアマチュア無線技士の国家試験が開始、更に翌年、アマチュア無線局の免許申請も受付が始まった。

それを待っていたかのように、1952年、春日無線(後のケンウッド)は五球スーパーに BFOと ANLの回路を付加した受信機 6R-4Sを発売した。(BFOと ANLが無ければタダのラジオだが) 外観も含め、一応、通信型受信機と呼べる物だった。


見た目は、アメリカの通信機メーカー Hallicrafters社の S-38と言う通信型受信機にソックリ、今風に言えば、パクリその物だった。
戦後間もない頃で、アメリカの事情には疎く、並四や高一ラジオに見飽きていた人々には、斬新ささえ感じたようだ。

この 6R-4Sから二年が経った1954年に、トリオの通信型受信機の礎となる 9R-4が発売になった。と、同時にアマチュア無線用に特化した 9R-42もラインナップされた。
高周波一段中間周波二段、いわゆる「高一中二」と呼ばれ、この当時の通信型受信機の完成型と言っても過言では無い。

それから四年が経った1958年、
型番の末尾に "J" を付け足した 9R-4Jと 9R-42Jが登場した。
フロントパネルを見ると直ぐに気付くが、CW/SSB受信用にBFOのピッチコントロールのツマミが新たに追加された。それ以外に電源部も見直された。
では何故 "J"なのか、いま以て分からないでいたが、ネット検索での結果、アマチュア無線雑誌 CQ ham radio(1959年4月号)で、設計に携わった横山耕三(JA1SR)が執筆したトリオ9R-4J紹介の記事(9R4と9R4Jはどうちがうのか)に、”J”はJuniorに通じるとあり、これが型番の末尾の”J”の由縁と理解した。

外観を見比べるとよく似ているが、内部を覗いて誰もが納得した。

9R-4 と9R-42の真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6SK7(IF) - 6SK7(IF) - 6SQ7(AF) - 6V6(PA)
6BE6(OSC), 6SN7(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

アンダーラインはGT管、その他はMT管

9R-4Jと 9R-42Jの真空管
6BD6(RF) - 6BE6(MIX) - 6BD6(IF) - 6BD6(IF) - 6AV6(AF) - 6AR5(PA)
6BE6(OSC), 6AV6(BFO/ANL) & 5Y3(RECT)

何が変わったのか?
9R-4 と9R-42に採用された真空管は、MT管と GT管の混在だった。
それが、9R-4Jと 9R-42Jでは一目瞭然、整流管の 5Y3を除き、残り全てが MT管に入れ替わっていた。

では、何故に、MT管と GT管の混在だったのか?
往時、その事情に通じた人から聞いた話だが、MT管の調達コストが高かった為だと言う。

その後、五球スーパーが一般家庭に普及しはじめ、MT管の価格も大量生産で下がり始めた。

それと時期を同じくして、春日無線は、将来の経営の柱となる、FMチューナーやアンプ、ステレオレシーバーなど、いわゆるオーディオ市場へ参入した。

当然、MT管の調達数は、アマチュア無線機の必要数よりゼロが一桁多く、必然的に調達コストは大幅に安くなった。
そうなれば、GT管を使うコストメリットは全く無しとの判断に至り、5Y3以外は、MT管へ総取っ替えになった。真空管の良いところは、同等管との差し替えであれば、回路定数の変更も殆ど必要無く、置き換えられることだ。

言ってみれば、このモデルチェンジ、
ただただ、メーカーのご都合によるもので、ユーザーは惑わされただけかもしれない?

蛇足ながら、
それから二年後、更に 9R-59へモデルチェンジしたが、6BD6を 6BA6に、6AR5を 6AQ5に差し替えた以外、真空管のラインアップは、そのまま踏襲された。
最後まで居残った GT管の 5Y3は、9R-59Dで、やっと半導体に置き換えられ、お役御免になった。

2016年7月31日日曜日

トリオに漁業用受信機が有った

古いトリオの総合カタログに、見知らぬ 漁業用受信機「F-62」が載っているのに気付いた。
以下は、そのページの部分的コピーだ。


何故に「F-62」なのか?それまでのトリオの型番の体系では推しがたい。アマチュア無線用の 9R-4より少し後に、漁業用受信機として製造販売したらしい。

それも、陸から近い沿岸漁業の漁船向けだ。
それ故、短波放送で知られる九メガ台とか、それ以上の周波数では電波がスキップしまい、近距離の通信に適さない。それで、中短波の四メガ以下とか八メガ以下の漁業バンド用の受信に適した仕様にした。

高周波一段中間周波二段、AF二段の構成で、中波と短波(3.5-10Mc)の二バンドと立派だ。
GT管が六本。電源は 24Vの DC専用で、ロータリーコンバーターかバイブレータを用いた船舶用ならではの仕様である。大揺れする船内に取り付けるため、通常の脚ではなく、アングルのような脚で船体の一部に直付けした。

受信機は、それぞれの漁船に付けられ、送信機は船団の一、二隻にのみ付けていたようだ。
勿論、送信機の操作には無線従事者の免許資格が必要だ。

通常は、漁業基地の固定局、つまり海岸局との交信を行う。
他の船は、その交信を傍受し、航路のこと、漁場のこと、気象のことなど、航海に必要な情報を得ることができたようだ。

因みに、この F-62は 38,500円、6R-4Sは 17,550円、 9R-4は 32,000円とカタログにある。
この漁業用受信機に付いて後継が無く、恐らく 6R-4Sや 9R-4へ引き継がれたようだ。

トリオ、今でも実用になる鉱石ラジオ

このイラストに記憶のある方々は、かって、紛れもなく、ラジオ少年だった証しだ。
昔の資料を整理して居る最中に出て来たトリオのコイルの説明書、「並四」の裏表紙に、このイラストはある。


春日無線(トリオ)の並四コイルに、片岡電気(アルプス)のバリコン B-15、狐崎電機(FOXTON)の鉱石検波器と揃えば、このラジオが難無く完成した訳だ。

今では、入手が難しい?鉱石検波器をゲルマニュームダイオードに置き換えれば、このまま AMの放送を聴けるのが凄い。

何十年も前の事が、いまこの場で、全く同じに再現できてしまうなんて、そうザラには無い。

しかも、電池が不要で、思いのほか実用的だが、これで、小一時間も真剣に放送を聴こう何て気分には到底ならない。

今どき「鉱石ラジオ」なんて言われても、若い世代にはチンプンカンプンだろう。
それこそ、二十世紀の遺物?に等しいが、現世に於いては、省エネの見本その物だから、ひとつぐらいは手元に有って良いかも知れない。

2016年7月30日土曜日

春日無線工業の「TRIO」ロゴだが、

ケンウッドの、その昔のロゴを知っている人は多いと思う。
それは、多くの場合、トリオ株式会社時代の Times系のロゴ、「TRIO」だと思う。
それ以前の春日無線工業株式会社時代のロゴも、おなじ TRIO だが、形が丸で違う。

今ではお目に掛かる事も無いが、9R-59や TX-88Aより前の製品が掲載されているカタログでは、この時代のロゴを付けた製品が見られるだろう。
具体的には、以下の様なモノだ。


ハッキリ言って、ダサい。
ロゴと言うことで、デザイン的に独自性を出したくて、こんな横棒?を付けたのかも知れないが、センスの無さを露呈している?

今さらに確認してみると、9R-59の初版のカタログの写真では旧TRIOロゴが付いた製品で撮られているし、製品添付の取扱説明書の表紙も旧TRIOロゴだ。

9R-59は、春日無線工業株式会社からトリオ株式会社へ社名変更する時期に重なって出て来たので、この様になっているが、暫時、修正されていったようだ。

インターネットで、この 9R-59の画像検索をすると、旧TRIOロゴの製品画像が予想外に多くヒットして、今さらに驚いた。
それ故、9R-59は、旧TRIOロゴを付けた物が、かなり生産されたのではないか?と推測する。なお、相方の TX-88Aは、少し遅れて出て来たので、最初から新TRIOロゴであり、混乱は無かったようだ。

JVCケンウッドに社名変更しても、KENWOODロゴは引き続き使用されている。

なお、英文表記の社名は以下の様なものが使われている。

有限会社春日無線電機商会/春日無線工業株式会社
KASUGA MUSEN KOGYO CO., LTD
KASUGA RADIO CO., LTD


トリオ株式会社
TRIO CORPORATION
TRIO RADIO CO., LTD
TRIO ELECTRONICS INC
TRIO KENWOOD CORPORATION

株式会社ケンウッド
KENWOOD CORPORATION

2016年7月29日金曜日

7月29日は「アマチュア無線の日」だ

1941年(昭和16年)、太平洋戦争の勃発と共に閉局を余儀なくされた日本のアマチュア無線局だが、終戦後七年を経た、1952年(昭和27年)に、その運用再開が認められた。
(64年前の)同年7月29日、全国の30局に予備免許が発給され、戦後の日本に於いて、アマチュア無線が正式に再開された。

1973年、日本アマチュア無線連盟(JARL)は、この日を「アマチュア無線の日」として制定したが、格別に行事などは無い。

6R-4Sの取扱説明書の表紙の一部分

また、春日無線工業(後のKENWOOD)は、この時期に合わせるように、トリオ初の通信型受信機 6R-4Sをセミキットとして発売した。これが、後のトリオのアマチュア無線事業の確固たる礎を築いた最初の製品として特記される。

2016年7月28日木曜日

トリオのアマチュア無線機の出荷形態だが、

トリオのアマチュア無線機は、電話級・電信級アマチュア無線技士が誕生した1959年(昭和34年)頃を境に出荷が急増した。
当時は、キット・ビジネスが盛んになった時代でもあり、アマチュア無線機も例外なく、完成品とキット製品の両方が出荷された。

B があり完成品だ
トリオの場合、元箱は一貫して同じモノが使われた。
それ故、製品を段ボールケースへ収めてしまうと、完成品だかキット製品だか分からなくなってしまう。

社内は勿論のこと、販売店に至る迄、その区別を容易にする必要に迫られた。そこで出荷時に、一時期、段ボールケースの側面に、完成品には "B"、キット製品には "C"をゴム印で押印することになったと聞く。

それは、当時のカタログからも読み取れる。
引用すれば、以下の様だが、

9R-59 A セミキット(主要部品は全て取付済み。球無し、配線無し、CRや小物パーツ無し)
9R-59 B 完成品
9R-59 C 球無し、オールキット
9R-59 T 球付き、オールキット
9R-59 Y 球無し、配線済みキット

蛇足だが、「球無し」とは、全ての真空管を別途各自が買い揃えることの意味だ。
しかし、A, B, C以外は、実在したのか?記憶に無い。

スキルのあるラジオ少年の多かった時代だから、パーツも手持ちの物や秋葉原で買い揃える "A" が最初の頃は多かったようだ。勿論、主流は完成品の "B" だ。

アマチュア無線人口が増え始めると、"A" に代わり、オールキットの "C" が飛躍的に伸びた。全てのパーツが同梱され、大判の実体配線図も添付され、敷居が低くなったからだろう。

当時は、中古真空管のビジネスも盛んで、当然、新品より安く買えるので、球無しキットが持て囃された。極め付けは、球無し、配線済みキットで、動作しないから、ラジオとは認定されず、物品税が安かったのかも知れない?

今にして思えば、時代に即したビジネスモデルだったに違いない。

2016年7月27日水曜日

トリオの A1/A3時代の無線機だが、

これは、だいぶ前に親元で、虫干しを兼ねて押し入れを整理した時に撮っている。
デジカメのデータで確認すると、十年前の日付に我ながら驚いた。
それから今日までに、どの様に変わり果てたか?計り知れないが、来週には結論が出そうだ。
いずれも、トリオの半世紀も前のアマチュア無線機だ。


ここには写っていない、MW/SW通信型受信機(9R-59)と HF/50MHzマルチバンド送信機(TX-88A)を取りに行くことにしている。
9R-59
TX-88A
恐らく、元箱が無くて、ここに写っていないように思うが、お邪魔虫であることは確かだ。自分にとってはお宝?だが、身内の目ですら、厄介者で、タダのガラクタに過ぎないのだから・・・。

トリオの 9R-59キットのパーツ

下の二つは、トリオの半世紀も前の製品、MW/SW通信型受信機(9R-59)のキットに添付されたパーツ、 「9R-59 ''C'' KIT」と「9R-59 ''R'' KIT」だ。

台紙は、ほぼ A5サイズ

9R-59は完成品もあったが多くがキットだった。
キットは球無し、つまり、真空管は全て自分で買い揃える必要があった。主要パーツは既に取付済み、小物パーツと抵抗やコンデンサーと言った電子パーツは、台紙にズラリと取り付けてあった。

回路図を参照し、実体配線図を頼りに、この台紙からパーツを取り外し、所定の箇所へ取り付けて半田付けして行く訳だ。この作業に並行して、リード線を必要な長さにカットして、指定の箇所へ両端それぞれを絡げて半田付けする作業もある。
この台紙から全てのパーツが無くなれば、抵抗やコンデンサーの配線が終わったことを意味する。

全ての作業が終わったら、最終確認をして、真空管をソケットに差し込み、スイッチONとなる。実体配線図などがあるにしても、ずぶの素人には、キットとはいえ、やはり敷居は高い。

しかし、アマチュア無線を志す者、それ位のことは承知のはず。いわゆる、スキルのあるラジオ少年達が活躍の場を得ていたように思うし、その様な時代でもあった。

9R-59