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2006年7月11日火曜日

水晶発振子の呪縛を解いた、トリオの Variable Frequency Oscillator、その名も "VFO-1"

段ボール箱の綴じ糸を解き、蓋の部分を引き上げると直ぐに取扱説明書が現れました。

トリオ(現ケンウッド)のアマチュア無線用の可変周波数発振器とでも言いますか、「VFO-1」のモノです。内装段ボールを一気に引き出すとビニールの透明カバーに被われた正にそのモノでした。

ケースの角の塗装が幾分剥がれていて赤サビも少々見えていますが、全体的には三十五年の経過を忘れさせるほど良い状態の様に見受けられました。
これを買ったのは昭和四十年(1965年)のことで、これのお陰で短波帯での交信数が飛躍的に増加しました。

Variable Frequency Oscillator
リグ(無線設備)は、いずれもトリオのアマチュア無線用のモノで、通信型受信機「9R-59」にプリセレクター/コンバータの「SM-5」を付加し、短波送信機は当然ながら「TX-88A」で、当時では定番のラインナップでした。

この「VFO-1」を買う前は、お決まりの水晶発振子による送信でした。
一番最初に買ったのは3,525kcです。

これは、二逓倍で7,050kcとなり七メガバンドのど真ん中で送信できるわけで、最適?ではないかと単純な発想でした。

開局の頃から暫くは七メガの(無線)電話でローカル局と毎晩毎晩お喋りしながら過ごしていましたが、いつしかそれにも飽きて、国内DX(遠距離通信)をやることにしました。ただ、遠くの局と交信するにはアンテナが貧弱で、それで、アンテナが短くて済む二十一メガを選びました。半波長で七メートルのアンテナですが、当時の都内の住宅密集地域でのアンテナ架設も容易でした。

しかし、たった一個しか持っていない水晶発振子の周波数は3,525kc、これを六逓倍して二十一メガバンドでは21,150kcで送信電波が出ることになります。
でも、その周波数近辺は(無線)電話の局は少なく、どちらかと言えば(無線)電信の局が多く使用していました。それで別の水晶発振子が必要になり3,535kcのモノを秋葉原で買ってきました。これを六逓倍して二十一メガバンドでは21,210kcで送信電波が出ることになります。

その当時は、ちょうど太陽黒点が多くなる時期にあたり、その影響で、電波が異常な反射をして複雑な経路で飛び、東京から北海道や九州と交信出来る条件は整いつつあると、もっぱらの噂でした。

二十一メガでは、七メガと比べものにならないくらい遠くの局と交信出来る様になりました。しかし、バンド幅も広くて七メガの四倍以上あり、一つの水晶発振子では効率が悪く、また、先方の局の送信周波数とこちらの送信周波数があまりにも離れすぎていて、コールしても気づいてもらえない恐れもありました。

これは、多くの局が水晶発振子による固定周波数での送信をしていたため、ドンピシャリ、自分の送信周波数で応答してもらえることが少なかったのです。
普通は、CQ CQと交信相手を捜す送信をして、やおら受信に切替、取りあえず自分の送信した周波数で誰か応答してくれていないか?耳を澄ませます。

殆どの場合、雑音のみで、「それでは・・・」っと、受信機のダイアルを自分の送信周波数より上の方へ回したり、反対に下の方へ回したりして、自分に応答してくれている局がないか、右に左にダイアルを回します。運が良ければ?自分のコールサインを何度も何度も繰り返し呼んでくれている局が受信出来ます。

相手が送信から受信に切り替えたことを確認して、自分は先ほどの周波数で相手に応答して交信状態に入ります。
多くの場合、彼とこちらの周波数が100kcや200kcも離れていることはザラでした。バンドも空いていて、こんな事は常習的に行われ、また、それがごく普通のこととして受け止められていました。

余談ですが、現在はこんなこと不可能ですし、また、0.1kHzほどでもズレて応答すると「貴局の周波数はズレてます・・・」何て言って来る輩が希にいて、ご親切なのか?無粋なのか?おおむね良い気分ではありません。

現実、あまり、お互いの周波数が離れていると、気づいてもらえないことも多々ありました。
そこで、水晶発振子を買い足して、こちらの送信周波数を、その数だけ増やすことにしました。秋葉原の電子パーツ販売店でFT-243型の水晶発振子を六個特注しました。それで、私の周波数プランは以下の様になりました。

基本周波数 → 六逓倍(二十一メガバンドでの周波数)
3505kc → 21,030kc ((無線)電信用)
3510kc → 21,060kc ((無線)電信用)
3515kc → 21,090kc ((無線)電信用)
3525kc → 21,150kc ((無線)電話用)
3535kc → 21,210kc ((無線)電話用)
3545kc → 21,270kc ((無線)電話用)
3555kc → 21,330kc ((無線)電話用)
3565kc → 21,390kc ((無線)電話用)

二週間ほどで納品があり、二十一メガバンドでは、(無線)電信は30kc、(無線)電話は60kc間隔で送信が可能になりました。その結果、交信数はドンドン増えていき、国内の殆どの県の局と交信出来るまでになりました。
そんな、ハムライフが暫く続いたある日、ローカル局が外国の局と交信したと聞き、俄然、そちらの方へ関心が移りました。自分の本来の希望は遠くの局と交信することで、それから、交信相手を外国の局に切り替えることにしました。

マイクを握って外国とやるには語学力が要る訳で、これには自信が無く(無線)電信ならば一定の決まり文句を紙に書き留めておき、あとはアドリブで何とかなるくらいの気持ちでいました。

七メガとは電波の伝播状況が異なる二十一メガバンドの下の方をワッチすると、たくさんのヨーロッパの局が聞こえていて、七メガでは味わえないドキドキした気分なりました。しかし、自分の送信出来る周波数で聞こえている局はほとんど無く、これでは応答してもらえないと落ち込みました。

しかし、こちらからCQ CQと相手を探す様に送信すれば、私の信号をキャッチして応答してくれる局がいるかも知れないと思い、ある日、21,030kcでトライしてみました。

CQ CQ と何度も繰り返し電鍵(キー)を叩き、送信から受信に切り替えて、耳を澄ませると、何と何と繰り返し繰り返し私のコールサインがヘッドフォンを通して聞こえてきてビックリ、それも、少しずつピッチが異なる音色で数局に同時に応答されていることが分かりました。

これには飛びあがりそうなくらいの衝撃・・・震える手で電鍵(キー)を叩き、一番強く入感していた局に応答しました。それはUA9(シベリア)の局で、初めての海外局でした。それに続けて、VS6(香港)、UH8(トルクメン共和国)、UA3(モスクワ)と立て続けに交信できてしまい「海外との交信なんて意外と簡単なんだ〜」っと、その時の印象でした。

その時に使った電鍵は、当時プロも使っていた今は無き電通精機のModel HK-1S。シンプルな縦振れ式で、6mm径の銀の接点で符号の切れ味が良く、ベースは大理石でズッシリとした安定感があり今も健在です。

(無線)電信に傾注したのは、語学力の不足もさることながら、当時、私はプロの無線通信士を志望する学生の為の教科がある学校で学んでいました。
電気通信術いわゆるトンツーですが、その授業も当然ながら毎日あり、その頃は、プロ第一級のトンツーの授業の最中でアマチュア程度のスピードでの交信は楽勝でした。そんなこともプラスになり、以後、今日まで電鍵(キー)を叩く機会の方が多いのです。

これ以後、(無線)電信用の三つの周波数を使い毎日毎晩、CQ CQ DXと、海外局との交信を重ねて行きました。半年くらいで百カ国くらいの海外局と交信が出来てしまい本人もビックリした時期でもありました。反面、ローカル局とは全く交信することもなく疎遠になった時期でもありました。

ダイアル(3.5Mcから50Mcまで目盛りがある)
しかし、海外局と交信できるようになっても、(無線)電信用の周波数は三波しかなく、其処から離れて交信している局は、相手に出来ませんでした。この頃になると、送信周波数を可変出来るVFOを使用した局が海外もちろん国内でも多くなり、先方と同じ周波数で応答しないと相手にしてもらえなくなる様になってきました。

やはり、時流に乗って私もVFOを使わざるを得ない状況になったことを悟りました。それで、今の設備にマッチするモノはトリオの「VFO-1」であることは前々から承知していましたので、またまたの散財ですが、これを私の無線設備にプラスすることに決心しました。

それは太陽黒点が最盛期を迎えつつある時期で、電波の異常伝播などが毎日発生し、普段は通信出来ない地域とも交信出来るチャンスがしばしば訪れ、それまでヨーロッパだけだった交信相手が、北米から南米、そしてアフリカにまで広がりました。そんなチャンスに「VFO-1」は、私の期待に応え、遺憾なくその役目を果たし活躍もしてくれた頼りがいのあるリグとなりました。

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